「日本庭園と日本外構」:
NO76

「金閣寺庭園」が語るもの?

 


 前項では、「金閣寺」とそのメインとなる建物・舎利殿(通称:金閣)について述べました。同時に、舎利殿は単独ではなく、庭園・借景等とセットで考えないと、それを造った真意・本当の素晴らしさは分からない、と言う点も確認できました。従って、
この項では「金閣寺庭園」について検証します。

 

金閣寺

「金閣寺」は北山文化を代表する作品です。当然、「金閣寺庭園」もまた、最高峰の作品であることは言うまでもありません。従って、国の特別史跡、特別名勝にも指定されています。ただ、応仁の乱で北山山荘の殆どが焼失しました。それでも、舎利殿は難を逃れ、近・現代へと伝えられました。1959年に放火によりその舎利殿も消失しますが、1955年に再建。この流れを見ても、舎利殿を囲む「金閣寺庭園」は北山文化の面影を色濃く残していると推定して良いでしょう。

 

「金閣寺庭園」もまた、西園寺家ゆかりの「北山第」を、足利義満が改修して造られました。庭園様式としては、禅宗式の池泉回遊庭園と言う事になります。ただし、西園寺家時代の庭は「浄土式庭園」であったと伝えられています。つまり、義満が行った改修の時点で、新しい工夫が多数なされたとみるべきでしょう。同庭園の基本構成は、ほぼ円形の鏡湖池(きょうこち)が中心部にあり、その北東部に舎利殿が建つ、と言う形になっています。そして、池内には西側の出島が半島状に伸び、芦原島、淡路島、鶴島、亀島、など多数の島が配されています。しかも、これらの島には明の洞庭湖から取り寄せた九山八海石、有力大名が献納した、細川石、亀山石、赤松石などが巧みに使われています。湖の景観を重視すると同時に、禅的思想空間をそこに再現したと考えるべきでしょう。

 

「金閣寺庭園」は鏡湖池からさらに奥へも続き、高台に至る山裾に造られた小路沿いには、銀河泉、厳下水、と言った清水が湧出ており、また龍門瀑と言う滝もあります。この演出を見ると、中国庭園(主に明時代)の様式を取り入れ、かつ遺水に対する構成が複雑化・高度化していることが分かります。つまり、水路と言う基本的な役割を超え、作庭の極めて重要なポイントへと変化して行ったと考えるべきでしょう。山河・渓流を模した演出~枯山水と言った発想の原点がそこにあるのではないでしょうか。なお、山路脇には安民沢と呼ばれる古池がありますが、西園寺家由来のものとされており、同家鎮守のための白蛇の塚(五輪塔)も設置され、歴史の流れを現在に伝えています。

 

また、「金閣寺庭園」は衣笠山等の周囲の景観との調和を重視した庭としても有名です。つまり、日本庭園の極めて重要な構成要素である「借景」と言う発想が有効に使われた庭園と言う事。これらの要素を見ると、北山文化は庭園にも大きな進歩をもたらし、長い歴史の中でも最高峰の作品を出現させたと言えるのではないでしょうか・・・


一口アドバイス。

「北山文化が生んだ最高峰のガーデン=金閣寺庭園!」

(みずき りょう)

76:鏡湖池&島

鏡湖池と島


76:舟形&亀嶋

舟屋と亀島


76:厳下水

厳下水


76:竜門滝

龍門瀑


76:石塔

安民沢(西園寺家由来の池と五輪塔)