みずきりょう

<ライター「みずきりょう」のブログ> インド哲学・仏教関連の著作物、エクステリア(住まいの屋外空間)・ガーデン関係の著作物を随時連載していきます。 ご愛読いただければ幸いです。

2019年04月



「日本庭園と日本外構」
:NO58

平安期以前の外構「興福寺」!

 


 平安時代以前の寺院外構について検証中です。我が国最古の本格的寺院「飛鳥寺」、聖徳太子由来の「法隆寺」「四天王寺」を既に紹介しましたが、
続いてこの項では「興福寺」を取り上げます。奈良時代を代表しかつその中では最も古い大寺であるからです。

 

「興福寺」は奈良市登大路町にある南都六宗の中の法相宗に属する寺院です。近鉄奈良駅とも近く、奈良公園への入り口付近、東大寺とも隣接と言った立地から、現代人にとって最もなじみ深いお寺の1つとも言えます。ただ、観光のメインとして「興福寺」を訪れる人は意外に少なく、一般人にとって大仏様拝観の通過点と言った印象が強いかもしれません。

 

「興福寺」の起源は極めて古く、藤原鎌足の病気平癒を願い、夫人の鏡大王が釈迦如来像を造り、同像を本尊としていると伝えられています。お寺直接の起源は、天智天皇が669年に現・京都市山科区に創建した「山階寺(やましなでら)」で、これを鎌足の子・藤原不比等が710年に現地へ移し現在の「興福寺」となりました。つまり、奈良時代第1号の大寺院と言う事になります。

 

ただし、前述のごとく奈良観光の中心部に位置し、立地条件が良すぎたためか、往時の広大な敷地・伽藍の大半は消失し、中心部と隣接施設の「猿沢池」周辺のみが残っています。だからこそ、今一つ強烈な印象が薄いとも考えられます。しかし、「興福寺」には膨大な資料が残されており、創建時の巨大な伽藍・外構等を含めた全貌を探ることは出来ます。具体的には、1700年代終盤~1800年代初頭の作と言われる、伽藍図を2種掲載しておきます。同資料を参考に、昔の「興福寺」がいかに巨大で、かつ、奈良時代初期のお寺がどのような全容を持っていたかを類推してみてください。

 

2つの図画で「興福寺」最盛期の面積・規模等を正確に知ることは困難です。しかし、「猿沢池」、その他の施設と全体を比較すると、外周を囲んだ土塀の長さは想像を絶するものであったことは間違いありません。


58:現在の伽藍

現在の興福寺伽藍略図


58:興福寺伽藍図

1800年前後に描かれた「興福寺伽藍」


58:大和名所画

大和名所画に登場した「興福寺」(1791年作?) 



58:金堂と五重塔

金堂と五重塔


58:南円堂

南円堂



 一口アドバイス。

「奈良時代のスタート=現・興福寺のスタートと言う巨大寺院!」

(みずき りょう)




「仏教タントリズム・資料編」



        みずきりょう著


         連載第16回



<第三章>「ウパニシャッド」の世界④




16:「ブリハッドアーラニカヤ」第四編の要約①

 

 以上により、「ウパニシャッド」とはどのようなものか、ある程度イメージしていただけたと思います。しかし、実際に何が書かれているか分からなければ、依然深い霧に中と言わざるを得ません。そこで、かなり強引な手法ですが、「古代ウパニシャッド」の代表的存在

<「ブリハッドアーラニカヤ・ウパニシャッド」四編の要約(少し長い物語?であるため)>と<「カウシータキ・ウパニシャッド」第一章の全訳>を提示しておきます。なお、両文共に、<辻直四郎著「ウパニシャッド」(講談社学術文庫)>をベースとして筆者が手を加えたものです。

 まずは、<「ブリハッドアーラニカヤ・ウパニシャッド」四編の要約>から

 

<「ブリハッドアーラニカヤ・ウパニシャッド」第四編の要約>

 

<第一章>

 ヴィディーハ王ジャナカがヤージュニャヴァルキヤ卿に「何が目的で貴方は存在するのか」と話し始め、以後このような形式で対話が進んで行く。

そして、物事の本質を追求するための最初の対話で「宇宙(梵=ブラフマン)は言葉だ」と示される。なぜなら、言葉こそすべてを伝えることが出来るからと告げる。

 さらに、ヤージュニャヴァルキヤ卿は王に「宇宙(梵)とは気息(我=アートマン)だ」と言う。王がその理由を聞くと、気息(ここでは気息≒心と言った印象が強い)は見えないが、愛を伝えることが出来、殺意等を封じることも出来るからと伝える。

 宇宙(本質)論議はさらに進み「梵は視覚だ」「梵は眼だ」「梵は耳だ」「梵は意だ」「梵は心だ」・・・・などと提示され、その根拠が示されていく。

 

<第二章>

 場所を変え、二人の対話は「全てにおいて優れている(あるいは重い責任を持つ)、王たるものはどの様に生きるべきか」がテーマとなる。そして、ヤージュニャヴァルキヤ卿は、現実の世の中は不可解なものに満ち溢れていることを、様々な事例を上げ確認し、だからこそ、「束縛を断ち切り、無畏(安息)の境地に至ることが大切だ」と伝える。

 

<第三章>

 この章での二人の対話は、「秘儀を語るべきではない」と言う言葉から始まる。

 そして、「光明とは何か」について語られる。さらに、「太陽こそ光明だ」「月こそ光明だ」「火こそ光明だ」と示される。しかし、それらが消え去る(例えば、太陽は夜消える)事があり、全てが消え去ればどうすれば良いかと言う疑問が生じる。そして、そんな時には「我(アートマン)を光明にすればよい」とヤージュニャヴァルキヤ卿は王に答える。

 すると、王は「我とは何か」と質問を続ける。これに対しヤージュニャヴァルキヤ卿は「現在住む世の中と、宇宙(梵)とを自由に行き来できるものだ」と答える。つまり、「我こそ本質だ」と言う事。

その後、「我の重要性」を証明するため、様々な事例が延々と提示される。


21:16国大時代

BC500年頃の勢力図・・・BC600年頃の勢力図とほとんど同じで、100年間あまり大きな変化が無く「16大国時代」が続いていたことが分かる。
画像:Wikipediaより




「仏教タントリズム・資料編」



        みずきりょう著


         連載第15回



<第三章>「ウパニシャッド」の世界③





15
:「ウパニシャッド」の種類と概要

 

 続いて、「ウパニシャッド」にはどのようなものがあるのか、具体的に提示しておきます。まず、全体の数ですが200以上に上るとの事。「ウパニシャッド」の語源は<近くに座す>と言った意味らしく、おそらく<重要なものこそ身近にある>と言った考え方が発展し、秘儀・奥義と言った言葉が充てられるようになったのでしょう。

また、後代の「ムクティカー・ウパニシャッド」には108の「ウパニシャッド」が紹介されており、そこから<108の「ウパニシャッド」>と言う表現が良く使われるようになりました。この108と言う数は<インドでは縁起が良い数値>(中国・日本でも、例えば108の煩悩のように、この数値が良く使われるのはインドの影響による)で、<多数の「ウパニシャッド」が存在する>と言った解釈で良いでしょう。

その通称108の「ウパニシャッド」の中でも特に有名なものが20ほどあり、これを「古代ウパニシャッド」と呼ぶようになりました。ただし、「古代ウパニシャッド」と言っても、BC700年頃〜紀元前後とかなり長い時間をかけ作られたため、古い順から「初期散文ウパニシャッド」「中期韻文ウパニシャッド」「後期散文ウパニシャッド」に3分割されるようになりました。その代表例を下記に列記しておきます。

*「初期散文ウパニシャッド」・・・「ブリハッドアーラニカヤ・ウパニシャッド」「チャーンドーギア・ウパニシャッド」「カウシータキ・ウパニシャッド」「アイタレーヤ・ウパニシャッド」「タイッティリーヤ・ウパニシャッド」「ケーナ・ウパニシャッド」「チャーガレーヤ・ウパニシャッド」、等

*「中期韻文ウパニシャッド」・・・「イーシャー・ウパニシャッド」「カータカ・ウパニシャッド」「シュヴェーターシュバラ・ウパニシャッド」「ムンダカ・ウパニシャッド」「マハーナーラーヤナ・ウパニシャッド」「バーシュカラマントラ・ウパニシャッド」、等

*「後期散文ウパニシャッド」・・・「プラシュナ・ウパニシャッド」「マーンドゥーキヤ・ウパニシャッド」「マイトラーヤナ・ウパニシャッド」「アールシェーヤ・ウパニシャッド」、等



20:BC600

BC600
年頃の勢力図・・・既に「16大国時代」に突入し、大国どうしが覇権を争っていた。 画像:Wikipediaより



住宅産業に喝!



成熟社会の狩猟民族






第九ステージ

「ライフ ステーション」構想①



37 市場が示す未来の姿

 

既存住宅産業の市場スケール

 既存住宅市場を本当に育成できるショップの姿を、様々な角度から追い求めてきた。

その姿をより鮮明にするため、次世代型ショップの仮の一般呼称を「ライフ ステーション」としておこう。「暮らしのための駅」といった意味と解釈していただきたい。

 それでは、この「ライフ ステーション」なる店舗、いったいどの程度の実績を上げることが可能で、何店舗程度全国で成立することが出来るのか。

 その算定の前提となるのは、言うまでもなく現在の市場規模。

 既存住宅市場は、5~6兆円と言うのが、一般的な見方。ただ、この数字あまり根拠のあるものではない。新築のように、確認申請の数から算定することが出来ないし、メーカーで作られた建材が、どこでどのように使われているか、確かめることは困難であるからだ。

 増改築店の売り上げを積み上げて、算定するという方法もあるが、これとて数を掴むことさえ困難な業界。正確な把握など出来るものではない。

 ただ、厳しく算定して、最低この程度以上という計算は出来る。結論から言えば、物販と、どうしても小売りショップではカバーできない既存住宅市場(賃貸の引っ越し時に発生する、不動産業者対象のリフォームなど)を除いても、末端で3兆円以上あることに、異を唱える人はあるまい。

 ちなみに、筆者の最も得意な分野である、ショップが受注可能な施工付きのエクステリア・ガーデン市場は約8,000億円。この数字に大きな誤りはまず無い。


3兆円市場が物語るもの

 では、この3兆円という数字は何を物語っているであろう。

 まず、新築と比較すると、あまりにも小さい数字で、如何にこの分野が未成熟であるかがわかる。しかし、この点は将来の楽しみとして取っておこう・・・。

 続いて「ライフ ステーション」1店舗が達成できる可能な販売数字。

 まず、3兆円を日本の人口1.3億人で割り、一人当たりの平均年間市場を算出すると、約23,000円となる。

 この様な店舗は、10万人~20万人を対象エリアとする(理由は説明済み)。ここでは中間の、15万人対象としよう。となれば、1店舗がカバーできる総市場規模は、

23,000円×15万人=34億5,000万円。

 これはすごいと、糠喜びしてはいけない。まして、半分取れば17億円売れるなどと言っても、それは不可能。残念ながら、低頻度回転商品の店舗で受注できるシェアがどの程度か、はっきりとデーターが出ている。

 結論から言えば、地域一番店でシェア20%強、存続可能なラインでシェア7%程度。

つまり、年商7億~2.5億円のラインと言うことになる。

 ただし、計画的にチェーン化し読めるラインは、シェア15~11%程度と言われている。となれば、3.5億~5.5億円程度と見て良い。

 

15万人対象で、1店舗年商4億円

 これを、さらに絞ると、15万人対象で、年商4億円程度の店舗を作ることは、路線さえ間違わなければ、それほど困難でないことが分かる。勿論、断片的に取り上げてきた数字もこの様な、根拠によるもの。

 ちなみに、エクステリア・ガーデンの分野に絞った場合は、少しエリアが広がり対象人口は20万人程度が最適。全国の総市場は8,000億円。これをベースに同じ計算を行うと、シェア15%で約1.9億円、シェア20%で約2.4億円(分野を絞った場合少し高いシェア確保が可能となる)となる。そして「egg」の会員店舗ではほぼこの計算通りの実績データーが出ている。

 要するに、正しい店舗展開を行えば、現在の施工付き既存住宅市場で、1店舗4億円程度の販売実績を残すことは、充分可能と言うこと。しかも、対象人口は15万人。

 人口200万人の県なら、13店舗程度の出店は可能と言うこと。ただ、ロスの多い地域もあるので、少なめに8店舗と見ても、県内だけで30億円以上のネットは充分作れると言うことになる。

 当然、よりスケールの大きな企業であれば、出店対象エリアを広げることで、その計画を策定することも出来る。



「仏教タントリズム・資料編」



        みずきりょう著


         連載第14回



<第三章>「ウパニシャッド」の世界②




14:「ウパニシャッド」の成立過程と歴史背景

 

 では、「ウパニシャッド」はいつ頃、どんな目的で著されたのでしょうか?

 その萌芽期を探ると、BC1000年にまで遡れるとも言われています。ただ、最も盛んに作られたのはBC700500年頃で、少なくとも筆者は、内容だけではなく、この作成年代にキーポイントがあると考えています。

 また、「ウパニシャッド」には「古代ウパニシャッド」と「新ウパニシャッド」があり、後者を含めると近代にいたるまで、作り続けられてきたと言う事になります。ただ、一般的に「ウパニシャッド」と言えば前者を指し、加えて「新ウパニシャッド」は「バラモン教」と言うより「ヒンドゥー教」に属するもので、ここでは対象外とします。となれば、<「ウパニシャッド」=BC700BC500年頃著された、「バラモン教」系の哲学書群>と定義すべきでしょう。

 ではなぜBC700BC500年頃と言う年代になぜこだわる必要があるのでしょうか。

 それは、この年代は世界各所で都市文明が定着し、同時に王・皇帝等の支配者だけではなく、商人・文化人など新しいリーダーが登場してきた時代であったからです。その代表的な三大エリアがギリシャ・インド・中国。

ギリシャでは、都市国家が誕生し、市民階級が指導者グループに加わり、ソクラテスに代表される多くの文化的リーダーが登場しました。中国では、春秋・戦国期に相当し、各地の支配者(王)に加え、商人・その地域の土着有力者が勢力を伸ばすとともに、諸子百家と言われた思想家が台頭します。勿論、その代表格が「孔子」です。

では、インドは? 無数の弱小国家乱立期を経て、有力国家どうしの争い(16大国時代)となり、その後さらに淘汰が進み「マガダ国」が頭一つ抜け出します。そして、同国系の「マウリヤ王朝」(BC322年〜BC185年)の統一へと繋がっていきます。

そして、ほぼ時を同じくして、(「仏教」側からの表現法ではあるが)「六師外道」に代表される文化人(思想家・哲学者・宗教家、等。ただし、当時その明確な区別は無かった)が登場。その背景には都市文明の発達に伴うニューリッチの台頭を見逃す事は出来ません。さらに、各国の王・ニューリッチの信認を得る為、あるいは自らの優位性をアピールする為、文化人同士の論争も頻繁に行われるようになりました。

当然、「バラモン教」の人達も、単に自分たちの思想を発展させるだけではなく、理論武装する必要性が増したと言う事。自身の向上+外的要因が重なり「ウパニシャッド」が成立したと考えるのが順当でしょう。


19:BC500年頃

BC500年頃の世界勢力図・・・この頃都市文明が発達し、新しい指導者グループが台頭。同時に、哲学者・思想家・宗教家などの文化人も多数登場した。

画像:Wikipediaより

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