みずきりょう

<ライター「みずきりょう」のブログ> インド哲学・仏教関連の著作物、エクステリア(住まいの屋外空間)・ガーデン関係の著作物を随時連載していきます。 ご愛読いただければ幸いです。

2020年02月


「仏教タントリズム・資料編」



        みずきりょう著


         連載第91回


第八章 「ヒンドゥー教」登場


41:「ヒンドゥー教」の聖典②


 

「マハーバーラタ」とは①

 

 「マハーバーラタ」はBC400年代〜AD300年代と言う長い時間をかけて、現代のような形になったと言われています。作者は聖者「ヴィヤーサ」だと一般的にはされていますが、実際には、前述のごとく、現代のような形になるには長い時間を要しており、良く分からないと言った方が適切でしょう。従って、その成立過程で「ヴィヤーサ」と言う人物が重要な役割を果たしたと言うのが現実に近いのではないでしょうか?

 「マハーバーラタ」と言う名前の意味は、何度も記したように「マハー」=大きい・偉大。そして、「バーラタ」=バラタ族物語。つまり、<偉大なバラタ族の物語>。

 「マハーバーラタ」の粗筋を一言で言うなら<バラタ族間の同属争い>と言う事になります。ただこれだけでは意味をなさないので、紹介済みの「バガヴァッド・ギーターの世界」を参考にごく簡単にその内容を纏めておきます。

 

<「マハーバーラタ」の粗筋>

*遠い昔「バラタ」と言う王がいた。その孫が「クル王」で彼が率いる部族を「カウラヴァ」と呼んだ。

*「クル王」の孫が「シャンタヌ王」で、この王がガンジス川を司る女神「ガンガー」(ガンジス川≒「ガンガー」と考えて良いであろう)結婚し、「ビーシュマ」と言う息子が生まれ、彼(息子)はやがて英雄とあがめられるようになった。

*「シャンタヌ王」はやがて、美しい漁師の娘「サティヤヴァティー」とも結婚。そして、2人の息子を生む(単に、2人の息子が生まれたと言うだけではなく、始めから王権継承を目的として生んだとも・・・)。やがて、息子たちは「シャンタヌ王」の死後、次々と王に。しかし、何れも若くして死んでしまう。

*ここでさらに問題が。王妃「サティヤヴァティー」には、昔ある男(聖者)と情を通じ「ヴィヤーサ」と言う一子を生んでいたからである。

*やがて「サティヤヴァティー」は「ヴィヤーサ」を呼び、<夭折した2人の息子の妻たちに、(「ヴィヤーサ」の聖なる力で)子供を産むようにしてほしい>と頼む。その結果「ドリタラーンシトラ」と「パーンドゥ」と言う異母兄弟が誕生する。

*しかし、「ドリタラーンシトラ」は盲目であったため、義弟の「パーンドゥ」が王位を継承。さらにその子孫たちが「パーンダヴァの五王子」と呼ばれるようになる。

(補注:一方、兄「ドリタラーンシトラ」の息子たちは、後に「クルの百王子」と呼ばれるようになる)

*ある日、「パーンドゥ」は、鹿の姿に化けた隠者が彼の妻と交わっていたところを目撃。この隠者を射殺する。しかし、その隠者の霊に呪われ、もう一人の妻と交わっている時に急死する。

*このような事情で、盲目の義兄「ドリタラーンシトラ」が結局は王となる。結果、彼の息子たち「クルの百王子」は、卑劣な手段を使い「パーンダヴァの五王子」を苦しめ始め、さらにいかさま博打で全財産と継承した国を没収してしまう。

*このような辛酸をなめた「パーンダヴァの五王子」であったが、「クルの百王子」から突き付けられた条件を守り、12年間森で亡命生活を送る。彼等の約束は、13年が経過した段階で復権すると言うもので、この期間が経過した段階で、「クルの百王子」に約束を果たすよう要求。しかし、その約束は反故にされる。

*ただ、この13年間の間に、「パーンダヴァの五王子」は、様々な事を学び、多くの味方も獲得。その力を使い、ついに両者は激突する。こうして、「バラタ族」抗争へ・・・


109:挿絵19世紀

「マハーバーラタ」の中の挿絵(
19世紀作) 
画像:Wikipediaより



 

 eg-倶楽部   2020春号

お客様とお店をつなぐ「コミュニティー紙」 編集:egg本部 

(写真:緑と花いっぱいのフロントガーデン。春は特に艶やかに)

20年春号①


さあ、もう春。木々は芽吹きはじめ、草花は次々と花を咲かせ始めます。

私達のガーデンも、樹木や花と無縁の空間ではあまりにもモッタイナイ。ガーデニング好きのあなたは、思いっきり腕を発揮して、緑いっぱい・花いっぱいのステージを創ってみて下さい。庭仕事はちょっと苦手と言う貴方も、ほんの少しでいいから、植物とのかかわりあいを。そう、一鉢の花だけでも、手のかからない宿根草を少し植えるだけでも・・・

eg-倶楽部・春号」。だから、あまり手をかげず、エクステリア(住まいの屋外空間)を見事に生き返らせる不思議な草花<グランドカバー>にスポットをあてました。これを機会に、アプローチ横・階段廻り・門廻りなどにぜひ!



小さくても不思議な演出者 グランドカバー


グランドカバー・・・よく聞く単語だが?

今回はフロントガーデンでもプライベートガーデンでも、一見地味だが大活躍のグランドカバーを取り上げます。

でも、グランドカバーの定義とは? これが案外難しい。2つの意味で使われているからです。1つ目は<お庭に植えられている、鉢(コンテナ)植え以外の全ての草花>を指す場合。この場合は、花壇に植えられている背の高い花物も含まれます。2つ目は<地面を這うように広がる草花>を指す場合。そして、今回は範囲が広すぎても焦点ボケする為、後者だけを対象とします。また、<地面を這うように広がる>と言う意味では、芝生が最も有名で多用されていますが、あえてこれも外します。

でも、なぜグランドカバーにこだわり、ここで取り上げたのでしょうか。理由は、エクステリア(住まいの屋外空間)に少し使うだけで、どのコーナーでも魅力が倍増する不思議な力を持っているから。例えば、門柱横にシンボルツリーを一本。でもその足元にグランドカバーを少し植えるのと、そうで無いのとでは雲泥の差。階段のサイド・ステップの一部にグランドカバーを配するのとそうで無いのとでは決定的相違が。アプローチの周辺・目地部にグランドカバーを植えると植えないでは雰囲気がこんなにも。カースペースの周辺・(タイヤが触れない)中心部などにグランドカバーを植えると植えないのでは天と地ほどにも(少し大袈裟?)・・・と言った具合です。

20年春号②

段廻りにグランドカバーを少し使うだけで、雰囲気ががらりと変わる!


20年春号③

門柱前に花壇を配しグランドカバーを植える。それだけでワンクラス上の門廻りに!



20年春号④

緑を有効に配したカースペース。土間コンクリートだけの車庫とは雲泥の差!


チョーお勧めグランドカバーとその理由。

では、<地面を這うように広がる草花>の種類はどのくらいあるのでしょう。明確に答える事は誰も出来ないと思いますが、身近なものだけでも何百種。だから、手に入りやすい・育てやすい・比較的安価・にもかかわらず非常に魅力的・・・そんなお勧めを強引に4種ピックアップし紹介します。当然、もっと他の物が欲しい・もう少し幅広く知りたいと言うお客様も多いと思いますが、その時はお店でご相談を!

最初に紹介するのは「リピア」。日本名を「ヒメイワダレソウ」と言います。クマヅラ科の多年草で、世界中に220種程度・日本には1種の仲間が自生しているとの事。ここで重要なポイントはヒメと言う表現が使われている通り、一般の「イワダレソウ」と比べると小型で草丈が5㎝程度と言う事。

繁殖力はおおせいで、広い敷地でもあっという間に全体を覆ってしまいます。しかも、日向半日陰までOK・雑草の侵入さえ防ぐ・59

月頃まで可憐な花を咲かせる・多少踏まれてもOK・暑さにも寒さにも強いなど、まさにグランドカバー用に生まれて来たような草花です。しかも、単体では大きくならない(背が低い)と言う事は、ランナー等を長く伸ばし土間部分に深く侵入する事が無く、刈込もあまり必要なし。従って、目地部・階段廻りなど狭い場所用としてもピッタリと言うおまけまで。

20年春号⑤:リピア

「リピア」 



2番目に紹介するのは、「グレコマ」。シソ科カキオドシ属の多年草で、アジア・ヨーロッパに広く自生しています。そもそも、カキオドシと言う名前は<繁殖旺盛で垣根まであっという間に埋め尽くしてしまう>と言う意味。これだけでも、剛健種で繁殖もいかに旺盛かが分かります。加えて、斑入り種主体に出回っており、外見的な美しさも!

ただし、「リピア」と異なり、草丈は20㎝以上あり、土間部等にもどんどん侵入します。このため、時々思い切った刈込が必要です。


20年春号⑥:グレコマ

「グレコマ」


3番目に紹介するのは「ワイヤープランツ」。タデ科ミューレンベッキア族の多年草で、原産地はニュージーランド。従って、珍しい物だと勘違いする人もいますが、極めて普及率の高いグランドカバーでもあります。最大の特徴を、草丈が極めて長く<蔓性植物>として扱った方が良いかもしれません。従って、水平に這わせるだけではなく、壁面に垂れさせる、垂直に伸ばしグリーンカーテン的な使い方をするなどの多様性を持っています。

また、葉が大きめの「ワイヤープランツ・コンプレッサ」、斑入りの「ワイヤープランツ・スポットライト」なども出回るようになり、より使い勝手が良くなっています。

20年春号⑦:ワイヤープランツ

「ワイヤープランツ」 


4番目は「モリムラマンネングサ」。ベンケイソウ科マンネングサ属の多年草で、大部分が軽度の多肉系。従って水切れに強く、ベランダや屋上ガーデン用としても、「セダム」と言う名で多用されているためご存意の方も多いでしょう。また日本に自生しているものも多く、なじみ深い植物です。

「モリムラマンネングサ」はその中でも最も小さな種類で、少し離れるとコケ類のような風情を持っています。従って人気も高いのですが、出自が良く分からず、<**の森村さんが**と**を交配して作出した>と言った明快な答えはありません。もしご存知の方があれば、ぜひご一報を!


20年春号⑧:モリムラマンネングサ
 
「モリムラマンネングサ」



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「日本庭園と日本外構」:
NO189

頼山陽が愛したプライベート空間!

 


 「江戸時代後期」の庭園・外構を紹介中。この項では、「山紫水明処(頼山陽書斎)の庭」と言う少し変り種を紹介します。個人の書斎・茶室でスケールは小さいのですが、当時のスーパー文化人の好み、あるいは京町屋文化を象徴した作品であるからです。

 

「頼山陽」(17801832年)は「江戸時代後期」に活躍した歴史・思想・詩人・書家・画家。つまりスーパー文化人です。そして、彼の著書「日本外史」は尊王攘夷運動に多大な影響を及ぼしました。

 

「頼山陽」の父・頼春水は広島藩の武士で学者。同藩学問所の創設に尽力しています。そして、父・春水が江戸勤務になったのを機に「頼山陽」も江戸で学びその学才を磨き1800年に帰国。しかし、広島藩内に留まることに反発し脱藩し京都に居を構えますが、広島へ連れ戻され廃嫡・幽閉と言う過酷な時を過ごします。ただ、この期間が「頼山陽」をさらに学問に専念させ、前述の「日本外史」の骨格(初稿)を纏めます。

 

謹慎を解かれた後に、広島藩校の塾頭になるなど、一定の地位を得ますがこの段階でもそれに満足できず、1811年に京都に出奔し、私塾を開校。そして、1826年に「日本外史」を完成させ、翌1827年に老中・松平定信に献上。「頼山陽」はその後も京都に住み、1828年に茶室兼書斎を建て「山紫水明処」と命名。その建物と庭が今日まで残され、当時の文化を伝えています。

 

「山紫水明処(さんしすいめいしょ)」は京都市上京区三本木通丸太町上ル南町にあります。鴨川沿いで、誰もが目にする場所ですが、小さな建物で殆どの人は気づかず通り過ぎている隠れた文化遺産でもあります。町屋風の入り口、茅葺屋根の建物、露地庭園(平面図参照)からなり、質素ではあるが、自由に読書や茶を楽しめるプライベート空間がそこにあります。従って、一般の茶室のような形式だらけの構成ではなく、障子に色ガラスをはめ込む、欄干を中国風の意匠にする、実のなる植物を庭に植えるなど、独自の工夫を各所で取り入れています。スーパー文化人「頼山陽」の面目躍如と言ったところでしょうか?

 

また、お茶自体も抹茶より煎茶を好んだと伝えられ、庭内に降り井(雨水等をためる場所)を設け、その降り井や、時には鴨川の水を使い、形式にとらわれない自由な茶を楽しんだとの事。社会変革と言う大きな思想・政治活動とは別に、流派・家元制度などが確立された当時の文化への小さな反発もその背景にあったのではないでしょうか・・・

 

なお、「山紫水明」とは京都の澄み切った風景、あるいは澄み切った風景を表す熟語として定着していますが、「頼山陽」が創った言葉とも。少なくとも彼がいなければこの美しい表現は定着しなかったでしょう。


一口アドバイス。

「頼山陽と言うスーパー文化人が愛した自遊空間=山紫水明処!」

(みずき りょう)


189:頼山陽

頼山陽肖像画(帆足杏雨筆)



189:周辺風景

 鴨川からの山紫水明処(マンション左)周辺風景



189:平面図

山紫水明処平面図



189:書斎外観

書斎(茶室)



189:書斎内部

書斎内部  



189:入り口

入り口



189:露地

庭(露地)



189:降り井

降り井(昭和初期)

Buddha-ism

2改訂版

 

 「仏教」について語ってみたいと思います。閉塞状況の現代社会に最も必要な思考体系だと思うからです。本書は、特定の宗教を広めようとする主旨によるものではありません。ただ、仏教のすばらしさが、あまりにも誤解を持って伝えられ、本当 の魅力とは程遠いイメージが定着してしまっているからです。

  これほど「mottainai」ことはありません。出来るだけ客観性に富んだ視点で、分かりやすく「仏教の考方」を伝えたいと思います。ぜひ目を通して見て下さい。

 

                      みずき りょう



第一章 「釈迦」が伝えようとしたもの



NO―4 「パティッチャ・サムッパーダ」の追求と民衆の救済⑨


「無常」と「無我」②


 <「縁起」~「無我」=「自己否定」~「自己の寂滅」と言う解釈が、初期仏教の説くところとは違う>・・・と考えることについても、もちろん明確な理由があります。

第1点は、「無常(アニッチャ)」や「無我(アナートマン)」と言う言葉には、悲観的意味など元々無いということです。前者は、単に「常時ある物ではない」と言う意味で、後者も「(常住し続ける)自分自身の存在など無い」という、客観的状況を示しているに言葉に過ぎないからです。

 この言葉に、日本人的感傷を込めて解釈すると、前記した本来の意味とは異なった考え方に至ってしまうわけです。

 第2点は、「阿含経」の最初の部分(法句経)にはっきりと以下のような意味のことが書かれているからです。

 

 自分のよりどころは自分自身しかない。

 自分の他にいかなるよりどころがあるというのか。

 自分の本当の姿が求められた時、人は得がたいよりどころを得ることが出来る。

 

また、「涅槃経」と言うお釈迦様の最後の説教が書かれた経典では、弟子である「アーナンダ」に以下のように述べています。

 

 さらば阿難(アーナンダ)よ、

お前たちは自分を洲(川の中のよりどころ)とし、

自分をよりどころとして、

他人をよりどころとせず、

法を洲とし、

他をよりどころにしないで、

住まいしなさい(生きて行きなさい)。

 

そして、これらの経句は、最も重要なお釈迦様の言葉として、現代へ伝えられています。

 つまり「無常」「無我」とは、「常」を求める「執着心の否定であり」、それゆえに「自分」と「法(あるべき姿)」が大切であると言うことを、内包した言葉であるわけです。

 むしろ、初期の仏教の考え方と、「虚無主義」「悲観主義」「厭世主義」などとは、全くの別物と見るべきでしょう。「物の存在」と「自己の存在」を、「物の変化(無常)」「自己の変化(無我)」の中に全て含まれるものと捉え、その存在を肯定し、変化のみを受け入れる。これが、仏教本来の考え方だと思います。

同じことが、後に登場する「空」と「無」の相違にもついても言えると思います。


32:方丈記・自筆


32
:鴨長明の「方丈記」・・・「平家物語」「徒然草」「方丈記」などは、日本人の無常観を現していると言われる。いずれも優れた文学作品でもあるが、初期仏教の「無常」「無我」と言う発想とは大きな違いがある。
画像:Wikipediaより



「仏教タントリズム・資料編」



        みずきりょう著


         連載第90回


第八章 「ヒンドゥー教」登場


 

41:「ヒンドゥー教」の聖典①

 

 「ヒンドゥー教」とはどのような考え方・形態の宗教かについては、後項で検証します。ただ、客観的かつ正確にその内容を把握するにはやはり経典を読むべきでしょう。しかし、これがなかなか厄介。「仏教」同様複数の経典を持つからです。と言うよりも、正確には<複数の経典らしきものがある>と言うべきでしょう。そもそも、聖典と言う表現はよく使われますが、経典と言う単語は殆ど登場しないからです。

 では、具体的にどのようなものが<「ヒンドゥー教」の聖典>とされておるのでしょうか? 当然の事ながら、「バラモン教」と繋がっている為、根本となるのは「ヴェーダ類」です。また、それまでの資料・考え方を哲学的・論理的に纏めた「ウパニシャッド類」も聖典に含まれます。ただし、これだけで「ヒンドゥー教」を語る事は出来ません。紀元前後以降に創られた2つの叙事詩「マハーバーラタ」と「ラーマーヤナ」と言うものがあり、これらもまた最も重要な聖典とされているからです。

 以上を整理すると、「ヴェーダ類」「ウパニシャッド類」「マハーバーラタ」「ラーマーヤナ」の4種が「ヒンドゥー教」の最重要聖典と言う事が出来るでしょう。ただ、こう書くと疑問を感じる方もおられるかもしれません。「バガヴァッド・ギーター」も聖典として良く知られているからです。

 ただし、「バガヴァッド・ギーター」は「マハーバーラタ」の一部で、並列状態で列記すると誤解が生じます。ところが、「マハーバーラタ」は全18巻・1万詩節・2万行以上の膨大な叙事詩で、簡単に読む事は出来ません。あくまでも筆者の推測ですが、「ヒンドゥー教」の信者でさえこの書を読破した人は少ないのではないでしょうか。

 このような事情もあり、実際には「バガヴァッド・ギーター」の方がより多く読まれ、ひいては<こちらの方が多くの人に親しまれているおり、「ヒンドゥー教」を知るうえでも教本としてよく使われている>と言うのが現状です。従って、この「仏教タントリズム・資料編」でも、「バガヴァッド・ギーター」については少し詳しくその内容に踏み込んでみたいと思います。

以上により、この項でも、「ヴェーダ類」「ウパニシャッド類」「マハーバーラタ」「ラーマーヤナ」の4種+「バガヴァッド・ギーター」を<「ヒンドゥー教」の「聖典」>として取り上げます。ただし、既に「ヴェーダ類」と「ウパニシャッド類」に関しては「バラモン教」のコーナーである程度詳しく検証しましたので、そちらを参照して下さい。

 なお、「バガヴァッド・ギーター」自体と、それを介して「ヒンドゥー教」を知るには<「バガヴァッド・ギーターの世界」(ちくま学芸文庫・上村勝彦著)>と言うお薦め文庫本がありますので、興味のある方はご一読を!


バガヴァッド・ギータの世界


「バガヴァッド・ギーターの世界」(ちくま学芸文庫・上村勝彦著)・・・「ヒンドゥー教」と「バガヴァッド・ギーター」を知るならぜひご一読を!



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