「日本庭園と日本外構」:NO285
「横浜・三渓園」と言う庭園とは?
明治時代の庭園を紹介中。この項では、横浜市中区にある「三渓園」を取り上げます。
「三渓園」は17.5ヘクタールと言う広大な敷地を持つ庭園で、庭だけではなく庭内に17棟の日本建築物が配されています。また、現在は三渓園保勝会が運営を行い、有料一般開放されています。そして、この庭園は祖父である江戸末期~明治初期横浜の豪商・原善三郎が1868年に購入した土地に、孫の実業家・原富太郎(1868〜1939年。茶人としても知られていた)が1906年(明治38年)に造ったものです。ただし、少し特殊な造り方で、各地の荒廃した寺院等の建造物を寄せ集め、それらを敷地内の各所に配して、全体を日本庭園化しました。従って、個人で造った庭園でありながら、①:敷地が広大
②:17棟もの建造物(大多数は古い寺院などの日本建築物)がある
③:従って公園的な要素が多い・・・と言った特殊性を持っています。当初から、文化財保護と多くの人が集まる施設を意識して造られたのではないでしょうか。
「三渓園」は東側の外苑と西側の内苑に分かれ(案内図参照)、外苑は全敷地の3分の2程度を占め、池と公園的ガーデン空間が主体、内苑は建物が中心でそれを池とガーデンスペースで結ぶ・・・と言った様式になっています。従って、庭の散策・花見などを楽しみながら、かつ古い日本建造物を鑑賞して回ると言った、行楽の場ともなっています。
なお、主要な建造物は以下の通り。
「外苑」=鶴翔閣(横浜市指定有形文化財)、林洞庵、横笛庵、旧燈明寺三重塔(重要文化財)、旧燈明寺本堂(重要文化財)、旧東慶寺仏殿(重要文化財)、旧矢箆原家住宅(重要文化財)
「内苑」=臨春閣(重要文化財)、白雲邸(横浜市指定有形文化財)、旧天端寺寿塔覆堂(重要文化財)、月華殿(重要文化財)、金毛窟、天授院(重要文化財)、聴秋閣(重要文化財)、春草廬(重要文化財)、蓮華院、御門(横浜市指定有形文化財)
一口アドバイス。
「実業家が文化財保護・庶民の散策の場を意識して造った庭園=三渓園?」
(みずき りょう)
原三渓(本名:原富三郎)
三渓園案内図
池から三重塔を望む
記念館(外苑と内苑を結ぶ)
三重塔(外苑)
臨春閣(内苑)
聴秋閣(内苑)