「仏教タントリズム・資料編」



        みずきりょう著


         連載第81回


第七章 「仏教」とその他の新興思想


 

367つの新思想と「タントリズム」との関連性①

 

 BC500BC300年頃に登場した7つの新思想(「仏教」+「六師外道」)について検証しました。では、本書のテーマ「タントリズム」とこれらの新思想はどのような関係にあったのでしょうか?

 もう一度、「プラーナ・カッサパ」「パクダ・カッチャーヤナ」「アジタ・ケーサカンバリン」「マッカリ・ゴーサーラ」「サンジャ・ベーラッティプッタ」「マハー・ヴィーラ」、それにお釈迦様の考え方を思い出してください。

 見逃しがちですが、これらの思想の大半に共通しているのは「平等&自由精神」と「合理的な分析」です。言い換えれば「タントリズム」とは対極にある考え方です。では、なぜ当時の新思想(宗教)は、平等・自由・合理的分析にこだわったのでしょうか?

 勿論、インド哲学の原点とも言える深遠なる思考形態で、一朝一夕に論ずることはできません。ただ、筆者は2つの要素がこのような共通性を生んだと考えています。1つ目は、「バラモン教」が本質的に持つ<階級主義・差別主義への批判>。2つ目は、BC500BC300年頃の<時代性>です。

 1つ目の、「バラモン教」あるいは、「バラモン(祭祀者)階級」「クシャトリア(王・貴族・武士)階級」の優位性を維持するためにどうしても必要だったのが、階級主義・差別主義です。となれば、支配・差別される側からの反発が起こるのは、ある意味当然の結果でしょう。具体的には平民以下の、「ヴァイシャ(平民)階級」「シュードラ(奴隷)階級」、それにどの階級にも属さない最下層の「不可触選民」からの反発が次第に強くなっていったと言う事。

 しかし、「インダス文明」の末裔「ドラヴィダ人」や「十王戦争」の負け組への差別意識が強まり、「カースト制度」のベースが固まったのは、当時より500年以上も以前の事です。つまり、下層階級からの反発はかなり前からあったと考えるべきです。にもかかわらず、BC500年頃になり、平等・自由をベースとした新思想が一気に登場し、反発を無視できなくなったのは何故でしょうか?

 そのカギを説くのが、2つ目の<時代性>です。

 BC600年頃、つまり「十六大国時代」になると、それぞれの国の主要都市など、数多くの、しかもかなり規模の大きな街(都市)が出来ます。加えて、「インダス文明」当時のような都市単位ではなく、個人が商いを行う事により、その中の一部の人達が大きな利益を蓄積するようになります。つまり、「バラモン階級」「クシャトリア階級」以外からも、生活に余裕のある人たちが数多く登場し、その中の一部はニューリッチ・(資金力をベースとした)ニューリーダーとなって行ったと言う次第。しかも、「マガダ国」の中から興った「ナンダ朝」(BC400BC350年頃)は「シュードラ(奴隷)階級」出身の王朝だとも・・・

 しかし、実質的な都市のリーダーとなっても、彼等の地位(カースト)は低いままです。この事実に対する反発がさらに強まったのは当然で、従来の反発と比較するとそのパワーは遥かに大きなものとなりました。当然のことながら、支配者側も無視できなくなり、(カーストそのものは同じでも)実質的には誰もが認める、社会の牽引車となって行ったわけです。同時代の、「ギリシャ」の市民階級のような存在と考えても(社会制度の違いはあるが)あながち間違いとは言えないでしょう。


ナンダ朝

「ナンダ朝」の版図・・・その後、やはり「マガダ国」系の「マウリヤ王朝」がインドを初統一する。
画像:Wikipediaより