Buddha-ism

2改訂版

 

 「仏教」について語ってみたいと思います。閉塞状況の現代社会に最も必要な思考体系だと思うからです。本書は、特定の宗教を広めようとする主旨によるものではありません。ただ、仏教のすばらしさが、あまりにも誤解を持って伝えられ、本当 の魅力とは程遠いイメージが定着してしまっているからです。

  これほど「mottainai」ことはありません。出来るだけ客観性に富んだ視点で、分かりやすく「仏教の考方」を伝えたいと思います。ぜひ目を通して見て下さい。

 

                      みずき りょう



第二章 「部派仏教」と「アビダルマ」

 

 

NO―6 釈迦没後の仏教とアビダルマの世界①

 

 

BC400年頃~AD500年頃の仏教

 

お釈迦様はBC400年頃、80歳でこの世を去ったと言われています。その後の仏教となると、どうなったか、専門家を除き殆どの方はご存知ないのではないでしょうか。そこで、今回からは、お釈迦様没後の仏教の変遷と、それに応じてどのような考え方が出てきたかを、追いかけていくことにします。

もちろん、その動きは現在まで約2,400年にわたり続き、インドから東南アジア、チベット、中国、日本等に広がり、キリスト教、イスラム教と並び、世界の三大宗教として定着していくわけです。ただし、ここではお釈迦様がこの世を去られた直後(BC400年頃)~AD500年頃まで、つまり紀元前後約900年間にスポットをあて、多角的に分析していくことにしましょう。

この間、仏教では、初期僧団の結成、僧団ごとの思考変化の発生、「部派仏教」時代の到来と「アビダルマ」思想の探求、「大乗仏教」の誕生と普及、「仏像」の誕生、中観派思想の台頭、唯識思想の台頭などを、最も代表的な動きとして取り上げることが出来るでしょう。

ただし、これらの動きは順番に入れ替わり興こったものではなく、時代が大きくダブっています。例えば、「部派仏教」と「アビダルマ」思想とその批判から生まれた「大乗仏教」の歴史は、前者がより早く生まれたことは間違いありませんが、100200年程度のズレで早くも大乗仏教の元となる動きがスタートしたと考えられます。つまり、両者は相互に批判をしながら発展を遂げ、提示した約900年の中で80%以上の時間を共存し、発展していったと考えたほうが正しいと思われます。

日本の仏教の考え方としては、「大乗仏教」を基本としているため、「部派仏教」を「小乗仏教」と呼び、一段下に位置付け前段階のものと言った考え方が主体となっています。思想的にどちらが優れていると考えるかは、それぞれの判断に任せるとしても、少なくともインドとその周辺におき、当時両者は殆どの時間を共有し、相互に切磋琢磨し発展して行ったというのが正しい姿です。

当時は現代以上に、各思想集団・教団別の論争もよく行われました。従って、自己の優位性をより強烈に主張していたことは間違いありません。となれば、「大乗仏教」側の人達が「部派仏教」側の人達を一段下に見て「小乗仏教」と呼んだとしてもある意味当然です。ただし、日本のように始めから「大乗仏教」の優位性を認め、そこから論を進めて行くことは誤りと言わざるを得ません。この点を、改めて確認しておきます。


44:ナンダ朝

 

44:「ナンダ王朝」(BC345BC321年)の版図・・・「マウリヤ王朝」の前の同じ「マガダ国」系の国家。初代王は前王朝(シシュナーガ王朝)最後の王と「シュードラ(奴隷階級)」の女性との間に生まれた子供だと伝えられている。
画像:Wikipediaより