Buddha-ism

第2改訂版

 

 「仏教」について語ってみたいと思います。閉塞状況の現代社会に最も必要な思

 考体系だと思うからです。本書は、特定の宗教を広めようとする主旨によるもので

 はありません。ただ、仏教のすばらしさが、あまりにも誤解を持って伝えられ、本当

 の魅力とは程遠いイメージが定着してしまっているからです。

 これほど「mottainai」ことはありません。出来るだけ客観性に富んだ視点で、分か

 りやすく「仏教の考え方」を伝えたいと思います。ぜひ目を通して見て下さい。

 

みずき りょう


 

第五章 「アーラヤ識」と「唯識派」

 

 

 NO―14 「華厳経」「法華経」「解深密教」の世界


 

「法華経」って何だ?③


 

「法華経」7大比喩

 また、「法華経」には7つの有名な比喩があり、よく取り上げられるため、上記と部分的にダブルところもありますが、以下に提示しておきます。

 

3:譬喩品(ひゆほん)の「三車家宅(さんしゃかたく)」>

長者の家が火事になる。しかし、子供達は気づかず逃げようとしない。そこで、欲しがっていたオモチャが門の外にあると言い、それにつられて子供達は家を出る。云々。

 

<第4:信解品(しんげほん)の「長者窮子(ちょうじゃぐうじ)」>

 長者の息子が家出。そして、50年間他国を放浪し困窮していた。やがて、父(長者)の家へ偶然辿り着くが、父と気付かないばかりか、捉えられると誤解し戻ることを拒否する。そこで長者(父)は召使に、この家で一緒に働こうと声をかけさせ、連れ戻すことに成功。その後も、息子が20年をかけ立派に成長するまでの親子のエピソードが示される。

 

5:薬草喩品(やくそうゆほん)の「三草二木(さんそうにもく)」>

 道端の雑草・美しい草花・立派な樹木など様々な植物があるが、雲が現れて雨が降ると全て平等に潤う。

 

7:化城喩品(けじょうゆほん)の「化城宝処(けじょうほうしょ)」>

 宝を求め旅する多くの人々がいたが、長旅でみんなが疲れ歩みを止めた。その中に1人の優れた術を持った導師がいて、幻の城を出現させる。幻の城で休憩した人々が元気になり再び旅に。すると、導師は休憩した城が幻の物であったと明かすが、人々は旅を続けた。

 

<第8:五百弟子受記品(ごひゃくでしじゅきほん)の「衣裏繋珠(えりけいじゅ)」>

 貧乏な男が金持ちの友人宅で酒を呑み眠ってしまう。金持ちの友人は所用で出かけるため、男を起こしたが目を覚まさない。仕方なく、衣服の裏に高価な宝珠を縫い込んで出かける。やがて男が起き上がると、宝珠を持っていると知らず貧乏な暮らしを続ける。長い時を経た後、金持ちの友人と再会した時、衣服裏の宝珠の事を伝える。そして、ようやく男は貧乏暮らしを脱することが出来た。

 

<第14:安楽行品(あんらくぎょうほん)の「髻中明珠(けいちゅうみょうしゅ)」>

 理想の王と言われる人物がいた。彼は、兵士の手柄に合わせ惜しみなく報奨を与えた。しかし、髷(まげ)の中の宝だけは与えなかった。

 

16:如来寿量品(にょらいじゅうりょうほん)の「良医病子(ろういびょうし)」>

 良医がいた。彼には100人余の子供がいて、ある時、良医の留守中に子供たちが毒薬を飲んでしまい苦しみだす。帰宅した父(良医)は薬を出し、その中の半数はそれを飲み快復。しかし、残りの子供は薬も毒ではないかと誤解し飲まず苦しみ続けた。そこで一計を案じ、再度外出し、使いの者に「父は旅先で死んだ」と告げさせる。すると、薬を飲まなかった子供たちも、それを悔いて服薬し助かる。

 

ここではあえて、比喩のみを提示し、その解釈に関しては読者に任せます。経典(法華経)に出てくる比喩であり、定番とも言うべき解釈があります。しかし、それが果たして本当に成立期の「法華経」の意図、あるいは当時のインド仏教界の解釈と同じであったか否かを判断する事が、残念ながら筆者には出来ないからです。

 勿論、日本で知られる一般的解釈と、当時のそれとに決定的相違があるとは思いません。ただ、これらの比喩にはよりおおらかな発想から生まれたものもあり、各シーンそのものを重視することで、経典に文学的魅力を加えると言った意思(演出)もかなり強く働いていたのではないでしょうか。



162:王舎城

115:インド仏教の著名な精舎「王舎城(ラージャグリハ)」・・・「ラージャグリハ」は「マガダ国」の首都でもあり、地名がそのまま精舎の名前となった。「法華経」の説教はここで行われたと言う設定。
画像:Wikipediaより