Buddha-ism

第2改訂版

 

 「仏教」について語ってみたいと思います。閉塞状況の現代社会に最も必要な思

 考体系だと思うからです。本書は、特定の宗教を広めようとする主旨によるもので

 はありません。ただ、仏教のすばらしさが、あまりにも誤解を持って伝えられ、本当

 の魅力とは程遠いイメージが定着してしまっているからです。

 これほど「mottainai」ことはありません。出来るだけ客観性に富んだ視点で、分か

 りやすく「仏教の考え方」を伝えたいと思います。ぜひ目を通して見て下さい。

 

みずき りょう


 

第五章 「アーラヤ識」と「唯識派」



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―15 意識の中に真実を見つけようとした「唯識派」



 

「唯識」思想の誕生と「唯識派」の歩み②

 

 

さらに、「唯識派」には、「アスヴァバーヴァ(無性)」(AD500年~AD560年頃)、「スティラマティ(安慧)」(AD510年~AD570年頃)、「ダルマパーラ(護法)」(AD530年~AD561年)、「パラマールタ(真諦)」(AD499年~AD569年)らを輩出し、その考え方を発展させ、インド大乗仏教界最大のグループに成長していきます。

ただ、「唯識派」の流れを見ても分かるように、「中観派」の「ナーガールジュナ」、その代表著作の「中論」のような、明確な骨格がありません。もちろん、「中観派」にもその後様々なスターが登場し、ある程度考え方にもバラツキが出ます。ただそれも、いずれも「ナーガールジュナ」と「中論」の考え方を追求した結果に過ぎません。

しかし、「唯識派」の場合は、代表的人物、代表的著作はあるものの、これだけに絞ればほぼ全容がつかめると言った、バイブル的存在の著作は存在しないと解釈したほうが正しいでしょう。つまり、「多数の人物の共同作業により確立された仏教体系」と解釈したほうが、適切と思われます。

さらに、上記の3人の著作に加え、「唯識派」の考え方を理解するには「解深(げじん)密教」と言う経典を読む必要があると言われています。しかし、「仏教」の専門家ならいざ知らず、いずれも極めてマニアックな経典で、一般人が手軽に目にすることは困難です。従って、どうしても解説書に頼る比率が高くなり、ベールに包まれた理解しにくい存在となっています。

しかし、逆にインド仏教の1つの大きな考え方の流れと捉えれば、その全貌が見えてきます。

 また、「唯識派」も「大乗仏教」のグループである以上、「空」と言う考え方がベースとなっており、根本において「般若経類」の考え方を踏襲しています。ただし、「中観派」とは異なり、「華厳経」「法華経」と言った経典からもかなりの影響を受けたことは明らか。そして、「解深密教」と言う次世代の経典が登場しその思想を直接受け継ぎ(と言うより「解深密教」をバイブルとし)集大成されたと見るべきでしょう。つまり、<「般若経類」~「解深密教」の総論>的な側面を持っていると言う事。

 だからこそ前項で示した、「華厳経」「法華経」「解深密教」を参照しながらその考え方について検証していただければ、+αの解明につながるでしょう。



106:無着

106:「唯識派」2代目とされる「アサンガ(無着)」像(「興福寺」所蔵)
画像:Wikipediaより




107:世親

107:「唯識派」3代目とされる「ヴァスヴァンドゥ」像(「興福寺」所蔵)・・・ただし、彼は「部派仏教」~「唯識思想」までの幅広い研究で知られるインド仏教界を代表する人物の一人。
画像:Wikipediaより