Buddha-ism
第2改訂版
「仏教」について語ってみたいと思います。閉塞状況の現代社会に最も必要な思
考体系だと思うからです。本書は、特定の宗教を広めようとする主旨によるもので
はありません。ただ、仏教のすばらしさが、あまりにも誤解を持って伝えられ、本当
の魅力とは程遠いイメージが定着してしまっているからです。
これほど「mottainai」ことはありません。出来るだけ客観性に富んだ視点で、分か
りやすく「仏教の考え方」を伝えたいと思います。ぜひ目を通して見て下さい。
みずき りょう
第六章
インドの「浄土系」と「密教系」グループ
NO―19 謎多き「インド密教」の世界
「仏教タントリズム(密教)」と言う個別集団の登場とその推移②
さらに、900年頃からは<後期の「仏教タントリズム」時代>が訪れます。
この頃からインド仏教は危機に立たされるようになっており、その巻き返しのため、(特に南インドでは)ヒンドゥー教との類似点が多い、「仏教タントリズム」を前面に押し出し、巻き返しを図ろうとしたからです。<現世利益・快楽傾向の強い「タントリズム」に多くの人々が傾斜し、そうならざるを得なかった>と言うのが当時の現状であったからです。それは、一種のポピュリズム的動きであったとも言えます。
具体的には、中期の後半から始まった、「ヒンドゥー教」と「イスラム勢力」への対抗策がより露骨になり、その一方で性的儀式も各所で行われるようになります。しかも、性的儀式は「ヒンドゥー教タントリズム」よりもむしろ、「仏教タントリズム」系のグループの方がより積極的に取り入れたとされています。
しかし、それは逆効果で、逆に「ヒンドゥー教」に飲み込まれる要因となってしまい、南インドでは900年代には仏教自体が殆ど姿を消してしまいます。
一方北インドでは、弱小国家の乱立時代(「ラージプート」と呼ばれた王国乱立時代)になっていたものの、「プラティーハーラ王朝」などの存在が、「イスラム勢力」進出の歯止めとなっていました。しかしそれも、1,000年代前半までが限界で、1,193年の「ナーランダ」に続き、1,203年のには「ヴィクラマシーラ」が攻撃を受け炎上。この事件によりインドの「仏教」は壊滅します。
この流れは、「仏教」の内部問題がなくても止めることは出来なかったでしょう。ただ、「仏教タントリズム」は偶像崇拝+イスラムへの攻撃+呪術や性的儀式などが、より彼等の反「仏教」意識を強めたことは間違いありません。
この間の一連の流れを簡単に整理すると、以下のようになります。なお、時代区分はかなりアバウトで、重複する部分もかなりあったと考えてください。
*前期「仏教タントリズム」(400〜600年代頃)・・・特別な集団・教義的なものではなく、大乗仏教集団の中で「ダーラニー」「マントラ」を唱えることで救済を求めるなど、素朴な形で取り入れられて行った。
*中期「仏教タントリズム」(600〜850年頃)・・・主に「ヒンドゥー教」に対抗する為、「タントリズム」を基軸とする仏教教団が形成され、「仏教タントリズム」の理論化が進んだ。しかしそれは、逆に僧団内だけの特殊な動きとなり、「ヒンドゥー教」に吸収される下地を作る結果と成った。
135:「ルドラ・チャクリン(転輪聖王)」の彫刻・・・「イスラム勢力」に反撃するための神。
画像:Wikipediaより
136:「時輪曼荼羅」(11世紀頃に登場)・・・お釈迦様晩年の口伝を曼荼羅にしたものと伝えられている。ただ、主な役割は<「イスラム勢力」への攻撃>。
画像:Wikipediaより
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