「日本庭園と日本外構」:NO307

「岸和田城八陣の庭」の真相に迫る②?



 「岸和田城」について言及しました。引き続き、
本題である同城本丸に造られた「八陣の庭」について検証します。同庭園は1953年(昭和28年)に「重森三玲」の設計・作庭により造られた庭です。全体的な特色としては、天守閣上からの眺めを意識し、鳥瞰的なレイアウトにこだわった :諸葛孔明(三国志に登場る蜀の大軍師)の戦術・八陣をイメージして造られた・・・以上2点を挙げることが出来ます。庭の形式は枯山水と言う事に成りますが、そのような範疇外と言うべき庭園かもしれません。

 

「重森三玲」がなぜこのように変わった庭園を造ったのか。意見の分かれるところですが、筆者にはかなり「遊び心」のウエイトが高かった、そのように思えてなりません。例えば、全体的な構成や石組の面白さを楽しむことは勿論、その石組で表現された、大将&8つの陣、さらには敵と戦う時それがいかなる行動を取るのか、と言った薀蓄を述べて楽しむ。そのような意識が働いていたと思われてならないからです。いずれにしても「八陣の庭」は伝統的構成から一線を画した、画期的現代庭園の草分けとして高い評価を受け、国の名勝にも指定されています。

 

「八陣の庭」の構成について、もう少し詳しく解説しておきます(写真参照)。その名の通り、戦の陣取りをイメージした構成で、中央に「大将(本隊)」をイメージした最大の石組を配置。当然のことながら、ここが総司令本部でもあり周囲の各陣に指令を発すると言う役割を持っています。その周辺には、立石組の「天陣」・背の低い石を地中に深く埋めた「地陣」・7つの石が暴風を表す「風陣」3個の石が流れる雲を表す「雲陣」・竜が天に上る様子を表した「竜陣」9個の石を使って虎の吠える迫力を表した「虎陣」8個の石により鳳凰が飛ぶ様子を表した「鳥陣」3個の横長の四を使い蛇の姿を現した「蛇陣」・・・以上8組の石組が設置され、これが言うまでも無く「八陣」と言う構成に結び付いています。「大将」と「八陣」の周辺には低い石垣が幾何学的に配され、全体は陣形を形取っていますが、城の平面図のようにも見えます。さて、貴方は「八陣の庭」には何が語られていると・・・

 

一口アドバイス。

「重森三玲の遊び心が作りだした合戦絵巻・八陣? あなたの解釈は?」

(みずき りょう)



307:設計図

 「八陣の庭」の設計図



307:鳥瞰写真

鳥瞰写真



307:八陣の庭

 「八陣の庭」と天守閣



307:大将

 「大将」



307:天陣

「天陣」



307:地陣

「地陣」



307:風陣

「風陣」  



307:雲陣

 「雲陣」



307:竜陣

「竜陣」 



307:虎陣

 「虎陣」



307:鳥陣

  「鳥陣」  



307:蛇陣

 「蛇陣」