「世界のガーデン」 第四章:イラン以外のペルシャ式庭園③

16回:グラナダ編①「アルハンブラ宮殿」

 


 イラン以外の「ペルシャ式庭園」を紹介中。今回は、スペインのグラナダ市にある「アルハンブラ宮殿」を取り上げます。

 

実は南仏・イタリア南部・スペイン南部など、ヨーロッパの地中海沿岸は、何度かイスラム勢力の進出を許し、その統治下時代も経験しています。このため、ペルシャ式の建造物・庭園等も数多く造られました。スペインのグラナダにも、3つ(「アルハンブラ宮殿」「ヘラリーフェ」「アルバイシン」)の歴史建造物が残されています。今回はその中の「アルハンブラ宮殿」を取り上げますが、世界中のペルシャ式遺跡・建造物の中で、インドの「タージマハル」と共に、もっとも有名な物と言えるかもしれません。勿論、世界遺産にも指定されています。

 

「アルハンブラ宮殿」は宮殿と呼ばれていますが、実際は城壁都市と言った方がふさわしい建造物で、ここを舞台とした戦いも何度も経験しています。つまり、イスラム勢力がヨーロッパに基盤を築くための城のような役割を果たしていたという事。だからこそ、丘の上にあり頑健な外壁で守られています。従って、一人の支配者が短期間に建造したものではありません。

 

「アルハンブラ宮殿」が現在のような大規模なものになったのは、グラナダを首都とした「ナスル朝」(12381492年)時代のことで、同期に、水道の設置・コマレス宮とその関連建造物・マチューカの塔・コマレスの塔・正義の門・スィエテ・スエーロの門・ライオンの中庭とその関連建造物などが造られ、現在に近い形となりました。

これらの建造物の中でも、ライオンの中庭(長さ28m×16m)に関連するものは特に著名で、質・スケール共にもっとも高い評価を受けています。

 

現在の主要構成物としては、ファサード・マチューカの中庭・コマレス宮とその関連物・ライオンの中庭とその関連物・パルタルと呼ばれる建物とその関連物・フェネラリーフェと呼ばれる建物とその関連物・カルロス5世の宮殿とその関連物・・・などをピックアップする事が出来ます。

 

「アルハンブラ宮殿」建造後の歴史を見ると、1492年にカトリック勢力の「レコンキスタ」が奪還し、イスラム勢力統治時代が終了。ただし、ヨーロッパ人も建造物の素晴らしさは認めており、カルロス5世は避暑地として使用し、彼の宮殿(カルロス5世の宮殿)も増設しています。

 

さらに、現在のスペインになった後も、他地区ではイスラム系建造物をカトリック系建造物に建て替えた事例もありましたが、「アルハンブラ宮殿」はイスラム様式のまま残しました。適切な選択であったと言えます。結果、歴史遺産が保存されたばかりか、同国でも最も有名な観光名所にもなっています。勿論、「アルハンブラ宮殿」は日本人にも大人気で、多数の人が訪れています。



16:全景

グラナダ市南東の丘にある「アルハンブラ宮殿」




16:アラヤネス


アラネヤスのパティオ 




16:パルタル

パルタル庭園




16:ライオンの中庭[1]

ライオンの中庭