この<「チベット仏教」とタントリズム>はみずきりょう作品の中から「チベット仏教」に関する部分を集め、編集・一部加筆・修正したものです。
「チベット仏教」とタントリズム 連載第25回
チベット仏教概論
チベット仏教の主な宗派
<カギュ派>①
「ニンマ派」「サキャ派」に続きこの項では「カギュ派」を取り上げます。
少しややこしいのは、「ガギュ派」には2系統の創始者(グル)がいると言う点。1人は「キュンポ・ケートゥプ」(990~1,139年?)で、もう1人は「マルパ・ロツァワ」(1,012~1,097年)です。2人とも在家者でしたが、ほぼ同時期にインド・ネパールに留学し仏法を学び、新たな宗派(カギュ派)を開いたとされています。ただし、両者にはほとんど交流が無かったとの事。補足すると、「ガギュ派」は2系統とも在家者出身の為、在家者カラーの白を象徴し「白派」と総称されることもあります。
草創期の動きから類推し、2系統の教えが相乗して「ガギュ派」が生まれたと考えるべきです。ただこのように記すと、時と共に2つのグループが一つになったように思いますが、実際にはスッキリ纏まったわけではありません。また、現在に至るまでに「カギュ派」には多数のグループが生まれ、その教えにも微妙な差があり、全貌を掴む事はかなり困難です。
「ガギュ派」の起源を追っても、「キュンポ」の留学期・草創期の一般人が入手できるような資料は殆どありません。「キュンポ」系グループは早い時期に姿を消し、このため記録もあやふやになったのでしょう。従って、現状から見れば<「カギュ派」≒「マルパ」系統のグループ総称>と解釈した方が適切かも知れません。
その「マルパ」は、当時経典の訳者として著名であった「ダンミ」(993~1,050年)からサンスクリット語を学び、その語学力を活かしてインドへ3回・ネパールへ4回留学し主に「仏教タントリズム」を学んだとされています。
インド留学時「マルパ」は108人の師に学んだと伝えられています。ただし、108と言う数字を見れば明らかに象徴的なもので、<多くの師から多くの事を学んだ>と言う事でしょう。その中で特に有名で決定的影響を受けたのが「ナローパ」と言う人物で、彼から伝えられたとする「ナーロー六法(六成就法)」(後述)が「カギュ派」の教えの根幹となっています。
「マルパ」の直弟子で詩人としても知られる「ジュツン・ミラレバ」(1,052~1,135年)の評価も高く、「マルパ」&「ミラレバ」を二大宗祖(グル)とするのが「カギュ派」の通念となっています。
ただし、「ミラレバ」の弟子の「ガンポパ」(実質的3代目。1,079~1,153年。彼は若い時に医学を学んだため「タクポ・ラジェ=タクポ地方の医者、と言う意味」と言う通称が良く使われるので要注意!)と言う名前も良く登場するので覚えておいて下さい。
また、中枢をなす教えは<夢で予言された「四柱八脚」=4人の直弟子&8人の孫弟子>により広められたと言う伝えもありますが、「カギュ派」をより大きく見せるための伝承と考えた方が良いでしょう。
前述のごとく「カギュ派」には多くのグループ(分派)があります。ただその前提として、「キュンポ」の系統の「シャンパ・カギュ派」(通称:シャン派)と、「マルパ」「ミラレバ」「ガンポパ(タクポ・ラジェ)」系統の「タクポ・カギュ派」(通称:タクポ派)に二分されます。ただし、「シャンパ・カギュ派」はかなり早い時期に途絶えてしまい、それに類する教団は現存しません。
「タクポ・カギュ派」の宗祖の一人「ジュツン・ミラレバ」
像画像:Wikipediaより
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