「日本庭園と日本外構」:NO301
100%負けを隠蔽しようとした理由?
日本は中国大陸へ無差別侵略を進めます。さらに、その戦線は東南アジアの一部にまで拡大。それだけでも狂気の沙汰としか言いようがありません。にもかかわらず、目先の利益だけを考え、1940年(昭和15年)には、ヒトラーのナチスドイツ・ムッソリーニのイタリアと三国同盟を結びます。これにより、アメリカ・イギリスを核とする連合国側と決定的対立状況に至ります。当然のことで、連合国側の圧力によりこのような事態に至ったのではなく、自らがその道を選んだのです。
一方、第二次世界大戦(1940年)に突入し、劣勢に立たされていたイギリスのチャーチルや、国内の混乱が続く中国・国民党の蒋介石らはアメリカに参戦を要請。このような状況下で、日本もアメリカとの交渉を行っていましたが1941年秋に決裂。中国大陸での行動、三国同盟と言った動きを見れば当然の事です。
結果、1941年(昭和16年)12月8日。あの有名な「トラ・トラ・トラ」。真珠湾攻撃を仕掛けます。つまり、日本はまたも宣戦布告なしの戦争を仕掛け、これにより「太平洋戦争」勃発となります。そして、1945年(昭和20年)8月15日の敗戦に至るまで、約4年間にさらなる泥沼の戦い(「満州事変」「日中戦争」を加えると約14年間)を続けます。ただ、「太平洋戦争」については比較的よく知られているうえ、部分的には教科書等でも取り上げられていますので、細かな経緯は割愛します。
ここで再確認しておくべき事実が2つあります。1つは、「満州事変」「日中戦争」だけでも重荷であり、これに「太平洋戦争」を加えた時点で、負けることは誰が見ても明らかであったと言う事。2つ目は、14年間の間に何度も戦争を終結させるチャンスがあったと言う事。にもかかわらず、軍部は負けると言う事実を認めようとせず、かつ戦争終結交渉をする事も拒否しました。それには様々な理由が考えられます。しかし、「満州事変」勃発前であれば別ですが、それ以降は程度の差はあれ「日本の負け」であることに変わりはありません。となれば、東條英機を初めとする軍幹部が粛清されることは明らか。終盤に至っては死刑の可能性が強くなります。それを恐れ保身のため戦争終結交渉を拒否し続けた。少なくとも筆者はそう考えています。
最後に1945年8月15日の敗戦について。同日に日本は無条件降伏(日本に無条件降伏を求めた「ポツダム宣言」の受諾)します。それは、昭和天皇の玉音放送により国民に知らされたことは周知の通り。ただ、この時点においても軍幹部は妨害行為を画策しています。それを振り切って昭和天皇が一部側近とともに無条件降伏を実現した。これが事実です。明治以降、天皇が実行した唯一の重要行為と言えるかもしれません。勿論、戦争の幕引きをしたからと言って、天皇の戦争責任が消えたわけではありません。傀儡政権であってもその名の元に暴挙が行われ続けたことは事実であるからです。しかし、アメリカや世界の列強国が下した天皇に対する決断は、比較的穏やかなものであった。これも、事実であることに代わりありません。
その一方で、軍幹部が行った行為は100%間違いであった。そして、「東京裁判」によりA級戦犯を初めとする、戦争責任者の各種刑罰が決定し実行されます。しかし、戦争責任と言う面でも、重要な事実が隠されています。諸外国は刑罰を決め実行しましたが、日本政府・国民自体は自分自身の責任所在確認を現在に至っても行っていない言う事実です。この点がドイツと全く異なります。それが厳しいものか寛大なものかは別として、なぜ当事者としての判断を下そうとしないのでしょうか。その判断を示さないからこそ、戦後の闇が現在に引き継がれ、その一方で根拠に乏しい憲法解釈論・自衛隊論等がマスコミ紙面を賑わすことに成るわけです。「満州事変」「日中戦争」「太平洋戦争」は一体何であったのか。誰と誰にどのような責任があったか。これを明確にしなくては、平和・自衛の具体的根拠を示すことなどできません。
日本は、大失態を犯しました。しかし、失態の最大課題「満州事変」「日中戦争」を白日の下にさらけ出さない限り、繰り返す可能性が残ります(事実そのような兆候も見られる)。だからこそ、日本人はこの2つの戦争+「太平洋戦争」を知らなかったでは済まされません。その一方で、少なくとも朝鮮半島と中国の人達は、若者を含め大半が「満州事変」「日中戦争」+「太平洋戦争」のことを知っています。このような矛盾が許されるはずがありません。
だからこそ、「日本庭園と日本外構」言う別目的の著書でありながら、特に「満州事変」「日中戦争」にこだわりました。次項からは、テーマを本題に戻し、大正・昭和の作庭家と庭園・外構について考えて行きます。
一口アドバイス。
「日本人全員が知る義務を持つ。それが、満州事変と日中戦争!」