HEISHEI・21(ニイイチ)、無責任男のスーダラ雑感・・・⑰
本当は「遠いのか 近いのか それが問題だ!」
(今回はハムレットの言葉風に・・・)
離れているから遠い、いや離れていても近いところも?
世の基準と言うものは、何を根拠に設定されているのであろうか。
いや、それほどたいそうな話ではない。先日、仕事で東京へ行き、翌日山口県の
2日間の移動距離、約2,000㎞。
正直、遠いと思った。しかし、ふと考える。2日間の移動が2,000kmあったから遠いと感じたのか。いや、そうでもない。海外旅行をする時、飛行機に乗れば2,000kmの距離などあっという間だ。アメリカやヨーロッパを訪れた場合い、さすがに殆どの人が、遠くまで来たと感じるであろう。しかし、途中2,000km移動の段階で、遠くまで来たと思う人などほとんどいないであろう。
今回の、大阪、東京、岩国、そして再び大阪への移動は、どのような状態であったのか。
まず、出発の前に、航空便をチェックしてみた。なぜなら、大阪―東京、大阪―博多、までなら、ほぼ新幹線を利用するが、それ以上距離が伸びる場合は、殆ど飛行機になるからだ。少し距離が伸び、東京―博多など、間違いなく航空機利用となる。
ところが、東京―岩国の場合は、これがかなりの難題。なぜなら、東京―広島の移動に飛行機を使う場合は、便数が非常に少ないうえ、広島の空港は同市街地から極端に離れているからだ。おまけに、料金も殆ど割引制度が無い。
つまり、不便、時間が限定されスケジュールが組みにくい、おまけに高いと言う悪条件までが並ぶ。さらに、広島から新幹線に乗り換え岩国へ向かうとなると・・・もうこれ以上書く必要は無いであろう。
と言うことで、結局全て新幹線と言うことになった。
2日目、東京駅7:30出発。そして新岩国に到着した時間は12:00を少し過ぎていた。出発、到着前後の移動時間を含めると、約5時間30分。旅行ならいざ知らず、仕事での5時間30分はさすがに遠いと感じた。
となると、時間がかかったから遠いと感じるのか。それもあろう。
しかし、先ほど書いたように、楽しい旅行ならどうであったか。それほど遠いとは感じなかったのではあるまいか。気心の知れた仲間と談笑し、久しぶりに訪れる錦帯橋のことなど考えていれば、5時間30分はひょっとするとあっという間に過ぎ去ったかもしれない。
となれば、近いとはいかなることか? 遠いとはいかなることか? それは実際の距離、時間とは関係の無い、単なる人の感覚の問題なのか。となれば、近い・遠いということ自体が錯覚の中の世界なのか。
いやいや、感覚だけなら客観的な要因はまったく存在しないということになる。それも少し違う。多少時間がかかろうが、同じ県内のある場所を訪れた時、遠くまで行ってきた、やってきた、などと人はあまり言わない。
などなど、よけいなことを考えると、訳がわからなくなる。
しかし、よく考えると、遠い、近いだけではなく、殆どの事柄が同じような性格を持っている。重い、軽い。長い、短い。暑い、寒い。快適、不快。全てそうではないか。答えが共通しているのは、数学の世界程度のものであろう。
格好をつけて言えば、人は主観と客観の間(はざま)で生きている。従って、全ての基準が主観で決まるものでもなければ、客観的条件だけで決まるものでもない。そこに食い違いが生まれ、悩みも出てくる。しかし、見方を変えればそれが人生の面白さでもある。
新幹線
こんなこともあった。
以前、これまた仕事で宮崎県をよく訪れた。大阪―宮崎は陸路では、福岡県を経由し時間もかかるし、道のりも遠くなる。ところが、飛行機を使うと、直線で結ばれ福岡県とほぼ同じ距離となる。
もっとも、正規の航空料金を払うと、往復で5万円前後とめっぽう高い。ところが良くしたもので、特別な期間をのぞけば「早割り」3万円程度で往復できる。
さらに、さらに。一泊しても良いのであれば、ビジネスパックなどと言うものがあり、一泊朝食付きで2万6千円~2万7千円程度のチケットまである。
アホカー。5万円の正規航空料金て、一体なんやねん。などと批判するつもりで書いたわけではない。
飛行機に乗っている時間も、1時間強。従って、大阪―宮崎が遠いなどと感じたことは一度もない。
東京―岩国は遠くて、大阪―宮崎は近い。不思議だがそれが偽らざる実感だ。だが、ここで、距離、時間、に加えあらたにまたややこしい条件が加わる。料金だ。
東京―岩国の新幹線料金、往復で約4万円(今回は往復ではなかったが)。大阪―宮崎の一泊朝食付きパック料金約2万6,000円。あれあれ。正規料金5万円を毎回払っていたのであれば、大阪―宮崎が本当にこれほど近く感じられたであろうか。
そうか、近い、と言う感覚の中には料金も含まれているのだ。こんな条件を列記していけば、近い、遠いと言った基準は一体どうなってしまうのか。益々訳がわからなくなる。でも、東京―岩国の新幹線に5割引、約1万円の特別チケットでもあれば、もっと近く感じたであろうか?
そう言えば、不況対策とやらで、大都市部を除く高速道路の料金が、いくら走っても1,000円均一になったとか。そのとたんに、運転の苦労も、渋滞のストレスももろともせず、マイカーで300㎞、500㎞と言った距離を移動する人が増えたとか。
おっさんたちは、仕事であろうが、家族旅行であろうが、車の長距離運転をする時、すぐ疲れたとか、あんな遠くまで運転する・・・などとか、ぶつぶつ文句を言う。要するに、遠くて大変といいたいわけだ。
ところが、高速料金が安くなったとたん、このぶつぶつを言わず、率先してハンドルを握る。となれば、同じ目的地でも料金が割引になっただけで、一気に近くなったということではないか。このような、摩訶不思議な現象は日常茶飯事に起こる。
それが人間の性(さが)なのか、はたまた馬鹿さ加減なのか。
おっさんは(本当は別におっさんでなくても良いのだが)何を根拠に遠いというのか。はたまた、近いと言うのか。遠い遠いとぶつぶつ言うのは、時間がかかるからか、距離が離れているからか、たくさんお金がかかるからか。これはもうミステリーの世界。
そうだ、世の中全てミステリーだ。いやいや、そればかりではない。遠いところは元々遠いし、近いところは元々近い。でも、やっぱり人の感覚で・・・。むにゃむにゃぶつぶつ。まあ、所詮どうでも良いことか。
なに、どうでも良い。それを言ちゃーおしめえよー。
高速料金 安けりゃ千里の道もひとっ走り
(りょう)