みずきりょう

<ライター「みずきりょう」のブログ> インド哲学・仏教関連の著作物、エクステリア(住まいの屋外空間)・ガーデン関係の著作物を随時連載していきます。 ご愛読いただければ幸いです。

カテゴリ: エッセー「スーダラ雑感」



HEISHEI21(ニイイチ)、無責任男のスーダラ雑感・・・⑰

本当は「遠いのか 近いのか それが問題だ!

(今回はハムレットの言葉風に・・・)

              

離れているから遠い、いや離れていても近いところも?

 
 
 世の基準と言うものは、何を根拠に設定されているのであろうか。

 いや、それほどたいそうな話ではない。先日、仕事で東京へ行き、翌日山口県の岩国市を訪れた。行程は、初日大阪出発、東京着。翌日、東京出発、岩国着。同日夕刻、岩国出発、そして帰阪。

 2日間の移動距離、約2,000㎞。

 正直、遠いと思った。しかし、ふと考える。2日間の移動が2,000kmあったから遠いと感じたのか。いや、そうでもない。海外旅行をする時、飛行機に乗れば2,000kmの距離などあっという間だ。アメリカやヨーロッパを訪れた場合い、さすがに殆どの人が、遠くまで来たと感じるであろう。しかし、途中2,000km移動の段階で、遠くまで来たと思う人などほとんどいないであろう。

 今回の、大阪、東京、岩国、そして再び大阪への移動は、どのような状態であったのか。

 まず、出発の前に、航空便をチェックしてみた。なぜなら、大阪―東京、大阪―博多、までなら、ほぼ新幹線を利用するが、それ以上距離が伸びる場合は、殆ど飛行機になるからだ。少し距離が伸び、東京―博多など、間違いなく航空機利用となる。

 ところが、東京―岩国の場合は、これがかなりの難題。なぜなら、東京―広島の移動に飛行機を使う場合は、便数が非常に少ないうえ、広島の空港は同市街地から極端に離れているからだ。おまけに、料金も殆ど割引制度が無い。

 つまり、不便、時間が限定されスケジュールが組みにくい、おまけに高いと言う悪条件までが並ぶ。さらに、広島から新幹線に乗り換え岩国へ向かうとなると・・・もうこれ以上書く必要は無いであろう。

 と言うことで、結局全て新幹線と言うことになった。

 

 2日目、東京駅730出発。そして新岩国に到着した時間は1200を少し過ぎていた。出発、到着前後の移動時間を含めると、約5時間30分。旅行ならいざ知らず、仕事での5時間30分はさすがに遠いと感じた。

 となると、時間がかかったから遠いと感じるのか。それもあろう。

 しかし、先ほど書いたように、楽しい旅行ならどうであったか。それほど遠いとは感じなかったのではあるまいか。気心の知れた仲間と談笑し、久しぶりに訪れる錦帯橋のことなど考えていれば、5時間30分はひょっとするとあっという間に過ぎ去ったかもしれない。

 となれば、近いとはいかなることか? 遠いとはいかなることか? それは実際の距離、時間とは関係の無い、単なる人の感覚の問題なのか。となれば、近い・遠いということ自体が錯覚の中の世界なのか。

いやいや、感覚だけなら客観的な要因はまったく存在しないということになる。それも少し違う。多少時間がかかろうが、同じ県内のある場所を訪れた時、遠くまで行ってきた、やってきた、などと人はあまり言わない。

などなど、よけいなことを考えると、訳がわからなくなる。

 しかし、よく考えると、遠い、近いだけではなく、殆どの事柄が同じような性格を持っている。重い、軽い。長い、短い。暑い、寒い。快適、不快。全てそうではないか。答えが共通しているのは、数学の世界程度のものであろう。

 格好をつけて言えば、人は主観と客観の間(はざま)で生きている。従って、全ての基準が主観で決まるものでもなければ、客観的条件だけで決まるものでもない。そこに食い違いが生まれ、悩みも出てくる。しかし、見方を変えればそれが人生の面白さでもある。



36:新幹線
新幹線



 こんなこともあった。

 以前、これまた仕事で宮崎県をよく訪れた。大阪―宮崎は陸路では、福岡県を経由し時間もかかるし、道のりも遠くなる。ところが、飛行機を使うと、直線で結ばれ福岡県とほぼ同じ距離となる。

 もっとも、正規の航空料金を払うと、往復で5万円前後とめっぽう高い。ところが良くしたもので、特別な期間をのぞけば「早割り」3万円程度で往復できる。

 さらに、さらに。一泊しても良いのであれば、ビジネスパックなどと言うものがあり、一泊朝食付きで26千円~27千円程度のチケットまである。

 アホカー。5万円の正規航空料金て、一体なんやねん。などと批判するつもりで書いたわけではない。

 飛行機に乗っている時間も、1時間強。従って、大阪―宮崎が遠いなどと感じたことは一度もない。

 東京―岩国は遠くて、大阪―宮崎は近い。不思議だがそれが偽らざる実感だ。だが、ここで、距離、時間、に加えあらたにまたややこしい条件が加わる。料金だ。

 東京―岩国の新幹線料金、往復で約4万円(今回は往復ではなかったが)。大阪―宮崎の一泊朝食付きパック料金約26,000円。あれあれ。正規料金5万円を毎回払っていたのであれば、大阪―宮崎が本当にこれほど近く感じられたであろうか。

 そうか、近い、と言う感覚の中には料金も含まれているのだ。こんな条件を列記していけば、近い、遠いと言った基準は一体どうなってしまうのか。益々訳がわからなくなる。でも、東京―岩国の新幹線に5割引、約1万円の特別チケットでもあれば、もっと近く感じたであろうか?

 

 そう言えば、不況対策とやらで、大都市部を除く高速道路の料金が、いくら走っても1,000円均一になったとか。そのとたんに、運転の苦労も、渋滞のストレスももろともせず、マイカーで300㎞、500㎞と言った距離を移動する人が増えたとか。

 おっさんたちは、仕事であろうが、家族旅行であろうが、車の長距離運転をする時、すぐ疲れたとか、あんな遠くまで運転する・・・などとか、ぶつぶつ文句を言う。要するに、遠くて大変といいたいわけだ。

 ところが、高速料金が安くなったとたん、このぶつぶつを言わず、率先してハンドルを握る。となれば、同じ目的地でも料金が割引になっただけで、一気に近くなったということではないか。このような、摩訶不思議な現象は日常茶飯事に起こる。

 それが人間の性(さが)なのか、はたまた馬鹿さ加減なのか。

 

 おっさんは(本当は別におっさんでなくても良いのだが)何を根拠に遠いというのか。はたまた、近いと言うのか。遠い遠いとぶつぶつ言うのは、時間がかかるからか、距離が離れているからか、たくさんお金がかかるからか。これはもうミステリーの世界。

 そうだ、世の中全てミステリーだ。いやいや、そればかりではない。遠いところは元々遠いし、近いところは元々近い。でも、やっぱり人の感覚で・・・。むにゃむにゃぶつぶつ。まあ、所詮どうでも良いことか。

 なに、どうでも良い。それを言ちゃーおしめえよー。

 

高速料金 安けりゃ千里の道もひとっ走り
                           (りょう)



36:広島空港
広島空港



HEISHEI21(ニイイチ)、無責任男のスーダラ雑感・・・⑯

爛漫 日本列島景色」

(今回は演歌のタイトル風に・・・)

              

「ソメイヨシノ」が咲かなくなるって、本当ですか?

 

 「春」 それは草花、木々により季節の変化を最も強く知ることが出来る季節でもある。2月に入り、気温は真冬でもそこに日本人は何かの息吹を感じる。それをまず告げてくれる花が「ロウバイ」。黄色でつやのある、まさに蝋を塗ったような花がまず私たちに、「春近し」の合図を送る。

 そして、「ウメ」が咲きそろい、見事に季節の変化を演出していく。その、その美しさと香りに酔いしれる季節となる。

3月になると、「コブシ」「ユキヤナギ」「モモ」と咲き始め、もう花で一杯だ。でもまだ真打は登場しない。半ばを過ぎて、4月の声を聞く頃にならないと、なかなか蕾を開こうとしない。でも変化は突然現れる。そう、真打であり主役でもある「ソメイヨシノ」が一気に開花し、日本列島を埋め尽くす。

わずか、12ヶ月の間に起こる、なんと劇的な変化であろうか。

 でも、その「ソメイヨシノ」に危機が訪れていることをご存知であろうか。何年か先には、花が咲かなくなるかもしれないと言う。それも、我々人間の勝手な都合により・・・

 

 ここで、少し「ソメイヨシノ」のお勉強を。

 自然交配で出来たという学説も在るが、この「ソメイヨシノ」と言うサクラは、人工的に作られた交配種と言うのが一般的な考え方だ。

 親は「エドヒガン」と「オオヤマザクラ」で、江戸の染井村(現在の東京都豊島区駒込)の造園師や植木職人によって創られたと言う説が最も有名で、ご存知の方も多いかも知れない。そして、吉野桜(ヤマザクラの代名詞)として売り出された。「ソメイヨシノ」と言う名前も、染井村で作られた吉野桜が起源となったと言われている(ただし、異説も・・・)。

 「ソメイヨシノ」の美しさは、誰もが知っており、説明の必要はあるまい。ただ、それを引き立てているのは、親たちの良い面を引き継いだ、淡いピンクの大きめの花と、葉が出る前に花が開き咲き乱れる、と言う性質によるものだ。

 しかし、人工的に作られたものゆえの欠陥も持っているようだ。

 成長は早いのが、その分寿命が短く、「60年説」「80年説」などがある。樹木としてはかなり短命と言わざるを得ない。また、種から育てることが出来ず、全て挿し木により増やされている。

 このような事実を知ると、花の散り際だけではなく、その一生に対しても、どこかはかなさを感じてしまう。あるいは、人間に似た寿命と、一本の親木から挿し木を繰り返し、それが人々の努力により、日本列島を埋め尽くすようになったと言う、出生の起源により、より親しさとロマンを感じるのであろうか・・・

 「ソメイヨシノ」は、別の弱点も持っている。病気に弱いということだ。てんぐ巣病、白色腐朽菌類による被害、が特に有名で、それが近年拡大しているとのことだ。

 以上、「ソメイヨシノ」について、少し物知りになっていただけたであろうか。


34:ソメイヨシノ(アップ)


 

 話を元に戻そう。

 日本を代表する木「ソメイヨシノ」が危機を迎えているという問題。

その原因は、空気の汚れと、地球温暖化にあるようだ。つまり、大気汚染と気温の上昇が病気を誘発し、「ソメイヨシノ」を苦しめているの訳だ。特に、50年以上経った古木は、てんぐ巣病や白色腐朽菌に弱く、樹勢の衰えを見せるものが目立ってきていると言う。外見では、幹にコブができ痛々しい姿を見せるようになってしまう。

それだけではない。たとえ、病気にかからなくても、花が咲かなくなる危険性があるという次第。

原因は、「ソメイヨシノ」の、持って生まれた性質にある。それは、冬に一定の温度まで気温が下がらないと、花芽をつけないと言う性質だ。つまり、地球温暖化が進み、どんどん冬の気温が上昇すると、樹木そのものは健康でも、花が咲かなくなってしまうと言うこと。現に、南の地方では、花が極端に少ない「ソメイヨシノ」が出現しているらしい。これは、由々しき問題である。

4月の声を聞き、そろそろ花が咲き出す。と思っていると咲かないまま葉が出てきた。こんな「ソメイヨシノ」の姿など想像できるであろうか。いや、日本列島の春を想像出来るであろうか。

我々人間が創り出したから、人間によって花が咲かなくなっても仕方がない。そんな身勝手な振る舞いは許されるものではない。空気をきれいにして、二酸化炭素の排出量を減らし、地球温暖化にストップをかけなくてはならない。それを「ソメイヨシノ」が教えてくれているのかも知れない。

 

ここで、未来の花見客の会話・・・

凸凹親父「今年は随分暖かいなー。まだ310日だと言うのにもう花見だとよー」

物知り親父「地球温暖化のせいだよ。サクラの開花日が30年前と比べると20日間も早くなっているというからなあ」

凸凹親父「そうか。でもどっちでもいいや。早くても遅くても、花見ができて酒が呑めればそれでOKさ」

物知り親父「ところが、そうも行かない。あんまり暖かくなると、花が咲かなくなるんだって。特に冬、暖かすぎるとな」

凸凹親父「そりゃ大変。そういえば最近のサクラ、随分花が少ないな。花見と言うより、葉っぱ見といった感じだ。子供のころの感じとまったく違うな」

物知り親父「そうだろー。昔、京都議定書かなんかだと言って、随分地球温暖化に対して取り決めを行ったようだが、結局はバラバラで大失敗。その結果がこれで、海面の高さも50センチも上昇してしまった」

凸凹親父「でもまーいいか。元々は花見なんてどうでもよかったんだし。酒を呑むための口実に過ぎないからな。暖かくて、花冷えの心配もないし、かえって都合が良いくらいだ」

物知り親父「そうだな。俺たちが生きている間ぐらいは、地球も持ちそうだし。酒が呑めりゃそれでいいか・・・」

凸凹親父「そうだ。むにゃむにゃ。スーダラ、スーダラ」

物知り親父「そうだそうだ。スーダラ、スーダラ」

 

 と言うことで、またまた何の解決策もないままで・・・

 でもやっぱり「ソメイヨシノ」の将来が心配。そして私たちの将来も。

 

        「ソメイヨシノ」の独り言 

アラ、こんなところにまたコブが かゆくて、かゆくて、たまらない

                          りょう


34:ソメイヨシノ



 

HEISHEI21(ニイイチ)、無責任男のスーダラ雑感・・・⑮

不況対策に秘められた甘い罠 その謎に挑む!
 (今回のタイトルはミステリー小説風に・・・)

              

「不況様々」などと喜んでいる人、それが貴方を駄目にする・・・

  
 2週間程前のことだったと思う。テレビでこんなニュースが流れていた。

どこかの豪雪地帯での建築屋さんのお話。通常は、雪国のことで本業の仕事は殆どない。しかし、その建築屋さんは除雪車を揃え、役所からの要請で雪除けの仕事を請け、冬場をしのいでいるとのこと。ところが、今年は暖冬で除雪作業が殆どなく、苦境に立たされていると言う。

しかも、不況で暖かい季節から仕事が少なく、ダブルパンチで状況は極めて深刻。

もちろん、テレビ局はその苦境を訴え、何か打つ手は無いのかとアピールしているわけだ。

 確かに、その建築屋さん、気の毒であることには違いない。

 だが、筆者はその時大きな疑問を持った。雪国か否かは別として、ここで取り上げたのは地方都市の典型的な建築・建設業の姿であろう。となれば、暖冬とは関係なく、もっと早く新規事業に参入し、新しい道を何故模索しなかったのかと言うこと。

 はっきり言って、官公庁物件や、住宅メーカー、ゼネコンなどの下請けで食べている企業に殆ど未来は無い。未来が無いとなれば、一般のお客様を相手としたリフォームに真剣に取り組むなど、新規事業にチャレンジしなければならないはずだが、ブツブツ言うばかりで、何のアクションも起こさない。

 何故か?

 そう、お役所や元請企業に擦り寄って、口をあけて待つことしか出来ない習慣が染み付いてしまったのだ。過去はそれで儲かったから良かった。しかし、終わった世界にしがみついていては、ただ消滅を待つだけの会社になってしまう。

 もし、新規事業にチャレンジしていれば、暖冬はむしろ味方となったはずだ。本来は、仕事が極めて少ない豪雪期に、受注の可能性が出て来たからだ。

 さらに言うなら、残念ながら地球温暖化問題が深刻化している現在、除雪作業の需要は年々減少することも当然予測できたはずだ。建築屋の社長さんは、気の毒ではあるが自己責任を感じていないとすれば、それは大きな間違いだ。

 

 少し話題を変える。

 我がエクステリアでは、小規模土木・造園関連の官公庁の仕事を請けている人も多い。そして、この人達にまたぞろ不穏な動きが出てきている。

 アー情けなや・・・

 分かりやすく言えばこういうことだ。昨今は一説によると「100年に一度の不況」(はっきり言ってなんの根拠も無い。勝手にそう思い込み、アメリカの影響を過大評価し、その蜃気楼が現実に結びついてしまっているだけだ)とのこと。従って、お役所のばら撒きで「不況対策工事」が増え、前記の人達が潤いつつあると言うことは事実だ。

 だが、ちょっと待ってほしい。それでは、先程の豪雪地帯の建設屋さんと同じではないか。今、お役所の仕事をもらうこと事態はかまわない。しかし、3年後にはその反動で、官公庁物件は、通常ベースよりはるかに急に激減する。なぜなら、不況対策で政府はさらに大きな借金を抱えることになり、不況が一段落した段階で、官公庁物件に対し、スーパー・ウルトラ引き締め策を打ち出してくることが、目に見えているからだ。

 景気が快復すればエクステリアの下請け仕事も自然に増える、と考えているのであれば、それは大きな間違い。景気と関係なく、新築物件の着工数が大幅に増えることはないし、少し増えたところで、もはや元請企業は採算の合うような価格で発注してくれることはまずない。この事実に変化などありはしない。

 となれば、不況対策用官公庁物件を受注するのは良いが、それに優先し、エクステリアショップを創り、新規事業にチャレンジするべきであろう。しかし、目先が忙しくなると安心し、チャレンジどころか、多忙と言う理由でこれまでに動き出した芽まで、摘み取ろうとしている。

 まったくあきれるより他は無い。

 以下は、役所の仕事も請けている、エクステリア屋の社長さんどうしの話。

**グリーン社長「あー忙しい。このところお役所の土木・造園の仕事が増えた。不況対策と言うことだが、まったく不況様々だなー」

**外構社長「まったくだ。以前ほど儲かる仕事は無いが、職人を遊ばせなくても済む。資金繰りも一段落だし。ほんと不況様々だなー」

**グリーン社長「ところで**さん。あんた、展示場を作って新しいことを始めようとしていたようだが、あれ、どうなった」

**外構社長「あれか。この忙しいのにそんなことやってられないよ。第一、海のものとも山のものとも分からんしなー」

**グリーン社長「そりゃそうだ。あんな細かな仕事はごめんだ。お役所は支払いも固いし、やっぱり最高だ」

 

 そして、時は流れ平成23年の春。

**グリーン社長「**さん、えらいことだ。お役所の仕事がぱったりと止まった。もうお手上げだ。お先真っ暗だ」

**外構社長「俺の会社も同じだ。まったく仕事が無い。不況対策にお金をかけた反動で、超引き締めだとか。今まで造った公園などの管理の仕事さえ予算半減だ。もういつ倒産するか分からない」

**グリーン社長「お役人も本当にいい加減だ。突然仕事をくれなくなれば、倒産する会社が増えることは目に見えているのに、まったく助けてくれない」

**外構社長「まったくだ。所詮役所や役人なんて、一般の会社のことなんか何にも考えていない。自分たちが得することだけだ」

**グリーン社長「**さん、前に言っていたエクステリアの展示場、もう一度やってみればどうだい。そしたら意外に儲かるかもしれないよ」

**外構社長「手遅れだよ。そんな余力などどこにも無い。丸抱えの職人はぶらぶらしているし、かと言って社員扱いの人間には、給料も払わなくては成らん。まったくお手上げだ」

**グリーン社長「役所のせいだ。えらいことだ。ブツブツ」

**外構社長「そうだ政治が悪いんだ。えらいことだ。ブツブツ」

 

 チョット大袈裟であっただろうか。しかし、日本の社会ではこれに似たような話を良く耳にする。もちろん、我々のすぐ隣でも。

 不況対策。それはもちろん必要だ。しかし、不況対策とは昔のように官公庁工事を増やすことでも、何とか給付金とか言って税金をばら撒くことでもない。また、それを期待し口をあけて待っている会社はもっと始末が悪い。

 だからと言って、役人と族議員でがんじがらめになった政府では、そこにお金をつぎ込むこと以外には何も出来ない。これでは、またぞろ不況対策を名目に、一部の輩(やから)をぶくぶくと太らせるだけだ。

 しかし、残念ながらその一部の輩の中には、豪雪地帯の建設屋の社長も、**グリーンの社長も、**外構の社長も入っていない。

 

 うーむ。ではどうすればよいのか。やっぱり、ここでグダグダ言っていても何の役にも立たないか、スーダラ、スーダラ。

 いやそんなことはない。声を大にして叫べば何かが・・・。いやいやおっさんが何かを言っても所詮は愚痴で・・・ムニャムニャ、と最後は例によってうウヤムヤ。

 でもやっぱり。

 いい加減にしろくどい!

 

お役所が突然くれた甘い飴 でも溶けてすぐ消えた!

(りょう)

 

31:除雪作業



31:新築現場



32:公共造園工事



32:樹木の管理




HEISHEI21(ニイイチ)、無責任男のスーダラ雑感・・・⑭


じゃかましー! 不況不況騒ぐんじゃねえやい


(今回のタイトルは遠山の金さん風に・・・)

              

日本人の迎合主義が、経済状況の実態を見逃すことに!

 「東芝 営業赤字2,800億円」「任天堂は最高益」「運営会社設立1年延期 シャープ堺工場」「オムロン5工場閉鎖」「個人消費弱く外需依存鮮明」「クラリオン3,000人削減」

 上記は、本日(130日)の毎日新聞・主要経済関連記事の見出しである。

 「任天堂」以外は、今にも経済が破綻しそうなものばかりだ。その「任天堂」の記事さえ詳細を見ると、最高益ではあるが当初予想は下回っているとのこと・・・。

 しかし、日本の経済は本当にこれほど深刻な状況にあるのか。仮に深刻であっても、活路を見出すことは出来ないのか。残念ながら冷静な分析と、改善方法については、殆ど何も書かれていない。

 

 実は、向かい風の企業ばかりではなく、追い風の企業も増えてきている。当然活路も見えてきている。にもかかわらず、誰もそれを提示しようとしないのが、不思議でならない。おそらく、日本人の迎合主義がこのような状況を生み出し、ファシズムを唱えるものが現れれば、何の抵抗も出来ず流されてしまう、と言った悪弊が如実に表れた、現象の一つであろう。

 ここで、絶対に見逃してはならないことは、昨年の前半と後半では、経済状況に決定的な違いがあると言うこと。具体的に言うなら「スタグフレーション」から「デフレーション」への移行である。

 「スタグフレーション」とは不況下のインフレのことで、何か特定の大きな横槍が入らないと発生しない。昨年前半の「スタグフレーション」を誘発した原因は、すでに不況下にあったにもかかわらず、原油が高騰したことによる。

 では、なぜこのような不自然な現象が起こったのか。それは、金融危機により世界の株価が下落した。すると、株に投下されたお金を引き上げ、主にニューヨークの「原油先物市場」に投資対象を移す人間・企業が急増。ところが、株と比較すると原油市場の規模は小さく、とんでもない高騰現象を引き起こした、と言うわけだ。

 そして、全ての物価に影響を及ぼす原油価格の高騰が、物が売れないのに値段が上がると言う「スタグフレーション」を引き起こした。

しかし、如何に先物市場にお金が流れようと、所詮売れないものは安くなる。その自然現象が、皆さんご存知のように昨年後半に現れた。一転しての、原油暴落である。ピークで1バレル150ドル弱、それが昨今では40ドル、50ドル。実に300%以上の乱高下があったわけだ。

 そして今後はと言うと、どこから分析しても原油価格が大きく上がると言う要因は無い。つまり、この時点で世界の経済は「スタグフレーション」から「デフレーション」へと急転直下、舞い戻ったわけだ。この点を、よく頭にたたき込んでいただきたい。

 

 もう一点、絶対に見逃してはならない要因がある。それは、アメリカ、ヨーロッパよりも、未だ日本のほうが経済的には余力があるということだ。こうなると、ドルやユーロと言った通貨より、円のほうが評価が高まり「円高」と言う現象を引き起こすと言うこと。そして、この「円高」も当面崩れる要因は無い。具体的には、1ドル120円前後から90円前後、つまり25%程度高くなっている。もっと分かりやすく言えば、輸入品の原価は25%も安くなっていると言うことだ。

 

 そろそろ、結論を述べ、本題に入ろう。

 「スタグフレーション」は経済の悪性腫瘍。収まるのを待つだけで、打つ手に乏しい。しかし「デフレーション」は同良性腫瘍で治療方法はあると言うことだ。分かりやすく言えば、「デフレーション」は、通常の経済活性化政策に本腰を入れ、的確に行えば解消できると言うことだ。

 そして、的確な経済政策とは、元気のある部分をさらに元気にすることから始まる。もちろん、苦境に立たされている金融機関、企業、つまり銀行や、トヨタ、パナソニック、東芝・・・などに救いの手を差し伸べることも必要だが、もっとプラス思考の経済政策が必要と言うことだ。

 その責任は、マスコミにもある。元気な企業・業種・業態にスポットを当て、もっと活性化しようとキャンペーンをはるべきだ。しかし、既に提示したように、本日の毎日新聞の記事を見ても、このお粗末さ。

 では、元気な企業・業種・業態、少なくともその可能性の最も大きなところはどこか。
 

 ここで、「円高」「原油安」+「内需産業」がキーワードと成る。つまり、車や電気とまったく逆の条件を備えたところと言うことになる。この条件を備えたところを探し、より活性化すれば「デフレーション」脱出、ひいては経済活性化の可能性が高まる。

 その代表が、建材・住宅、高級品を除く衣料関連、加工食料品関連、外食産業、石油関連産業、などである。

 そして、我がエクステリア関連も、その典型的な元気が出る可能性を秘めた産業であることも、指摘しておく。もっとも、まだ市場が小さく、末席を暖めている段階で、日本の経済全体を元気にする実力は無いが。しかし、それでも住宅業界全体と連携すれば、と淡い期待も・・・

 

      

 

 お分かりいただけたであろうか。

 しばらく、トヨタ、日産、マツダ、パナソニック、日立、ソニー、東芝、シャープ、など、日本経済を支えてきた大スターにはお休みいただいて、復活のチャンスを待っていただく。心配しなくても、彼等に政府は一定の支援を行うだろうし、経済状況が落ち着けば、アメリカのビッグ3と異なり、必ず復活してくる。それだけの実力を秘めている。

 そして、彼等の代わりに、これまで冷や飯を食っていた、原材料輸入・内需型の企業、産業を後押しし、日本を元気にすることが大切だ。

 トステム(ついでに東洋エクステリアも)、YKK、三協立山アルミ、ウッド・ワン、ユニクロ、しまむら、明治、森永、AJINOMOTO、すかいらーく、吉野家、エネオス、出光石油、コスモ石油、などに元気になってもらうことが、近道であるわけだ。

 先の、トヨタ、等と比較すると、いささかスター性には欠ける。でも、これほどの不況下であれば仕方が無いではないか。地道に巻き返しを図るより仕方が無い。

 もちろん、上記のような企業も、逆にチャンスが訪れたことを自覚し、率先して活性化に取り組まなければならない。世の中の流れに迎合し、消極策ばかり打ち出していても、何の解決にもならない。

 ちなみに、企業や個人の活性化を図る、最も良い方法は、欠陥を直すことも大切だか、もっと効果的方法は、長所をさらに伸ばす・・・と言うことだ。

 

 さあ、このような指摘で少しは希望を持っていただけたであろうか。

 なに、「こんなぐうたらコラムで、たいそうなお題目を述べても、何の足しにもならない」

そうかー。やっぱりそうかー。でも、おっさんとしてはどうしても伝えたかった。スーダラ、ムミャムニャ。

 まあ、愚痴の一つとでも思って、聞き流していただきたい。

 

 ただ、長く働いてきたおっさんだから、気が付くこともある。気が付けば、やっぱり伝える義務がある。ムニャムニャ。

 でもやっぱりそれも愚痴か・・・

 

             誰が言ったか「絶不況!」 でも何か見逃していませんか

                               (りょう)



28:スタグフレーション



スタグフレーションとは・・・


29:ユニクロ


ユニクロ


30:しまむら


しまむら


30:Mシェード


Mシェード











 

HEISHEI21(ニイイチ)、無責任男のスーダラ雑感・・・⑬

 の痛みをれるため ここまで来ただけど

40年前16歳の少女が作った歌・・・)

              

人と人との心の繋がり。16歳の少女が一曲の歌でその輪を広げた!

 

 この「無責任男のスーダラ雑感」も今回から「HEISHEI20」から「HEISHEI21」に変わる。早いものだ。いずれにしても、09年も世の中の動きを、面白く様々な角度から眺めて行きたいと思うので、ご期待下さい。

 

 さて、今回は約40年前の与論島でのお話。

 筆者が学生で20歳前後の頃。与論島という島に注目が集まった。資生堂の化粧品のキャンペーンで、同島の百合ヶ浜と言う美しい海岸が使われたからだ。その時の確かハーフのモデルも、日本人離れしたプロポーションで話題を集めた。残念ながら、名前は忘れてしまった(多分「ジャネット八田)
が、その後も人気がありかなり長い間活躍していたはずだ。

 もっとも、その資生堂のキャンペーンについて語ろうと言うのではない。

 そのような切掛けで与論島が有名になったこともあり、ダイビング好きの友人と、与論島に10日あまり滞在した時の、まぼろしの少女の話がしたかったのだ。

 

 当時、与論島は資生堂のキャンペーンだけではなく、ダイビングスポット(と言っても当時は殆ど素潜り。暖かい南の島なら、海水パンツ、シュノーケル、そして足ひれ、さえあれば、それでOK!)、美しい海岸、素朴な人情、などに人気が集まり、マニアックな学生たちが長期滞在型で多数訪れていた。

 また、もう一つの人気の秘密に、沖縄に一番近い島と言う理由もあった。おかしなことを言う、それなら沖縄へ行けば良い、という人もいるであろう。ところが、当事沖縄は未だアメリカの統治下に有り、復帰前であったのだ。つまり、そこへ行くには、準パスポートのようなものが必要で、敷居が高く、手前の与論島で南国の雰囲気を味わおうという人が結構多かったということ・・・。

 話を戻そう。筆者が与論島を訪れた時も、民宿には多くの学生が群がっていた。そして、今の民宿と異なるところは、同じ所に泊まった学生は、行動は別々でも、夜ともなれば誰もがどこかの部屋に集まり宴会が始まり、必ず一つの輪が広がったということ。

 与論島も沖縄同様、酒は泡盛が主体。学生もたいていは泡盛を呑む。ビールも日本酒も有るが、高くて呑めない。その点、泡盛は安くて、結局はそこに落ち着く。といっても、当時の泡盛は文字どおりの安酒。今日本で売られているような美味しいものとはまったく違う。匂いだって臭い。それでも、安くて酔えりゃお構いなし。

 

 筆者と友人が泊まっていた民宿も同じで、夕方、一本の泡盛を呑んでいると、どこからか人が集まってくる。そして、2本目からは誰かが差し入れをする。つまり、300円程の酒代があれば、毎夜延々と宴会を続けることが出来たわけである。

 そして、宴会で必ず歌われる歌があった。恐らく、当時の与論島で一番流行っていた歌であろう。


 1番と2番の歌詞しか覚えていないが、紹介しておこう。

 

恋の終わりを 忘れるため

ここまで来た 私だけど

だけど今も 忘れることが出来ない

 

思うのは 明日のこと

思い出は 昨日のこと

だけど今も 忘れることが出来ない

 

以上だ。そして、この歌詞が本当にシンプルなメロディーに乗せられ、学生たちの心を揺り動かした。カラオケなど無かった当時、最初誰かがギターで弾語りを始める。すると、いつの間にか合唱になる。そして、その宴会に参加していた学生が、他の場所で歌いだす。

このようにして与論島最大の大ヒット曲となって行ったわけだ。

題名も知らない。作詞・作曲者も知らない。しかし、16歳の12年前に与論島を訪れた少女の作品で有ることだけは、間違いない。恐らく、少女はフラリと与論島を訪れ、そして曲を作った。16歳であれば、酒は呑まなかったであろうが、学生たちの宴会に参加したのであろう。そして、少女は去ったが、歌だけは残った。

 

少し話は飛ぶが、先日NHKの教育チャンネルで、「人類の精神の進化」に関する番組が放映された。その番組によると、精神にも共通の進化が有るという。そして、類人猿と人間(ホモサピエンス)の進化の決定的違いは、集団の意識の仕方に有るという。

人間だけが生まれ育ったジャングル、さらには故郷のアフリカを離れ、世界に広がった。広がるためには自衛上、他の類人猿より大きな集団を作る必要があったとのこと。

そして、集団を維持できた細大の理由は、人間の精神的進化の過程で「思いやり」の心が大きく育ってきたからだというのだ。

番組は実験用のゲームでそれを照明して行く。

ゲームの一例を上げると、「独裁者」と「非独裁者」がペアを組む。そして「独裁者」だけがお金を持っている。この時、「独裁者」は「非独裁者」にお金をいくら分け与えるか、と言った内容。もちろん、0円でも、半額でも、全額でも良い。当然、お金を分けあたえても、直接的メリットは何も無い。

結果は・・・一番多かったのが半金を「非独裁者」に渡す、というケースであった。全額はさすがに無かったが、半額以外の解答でも、それに近い金額を渡す人が圧倒的多数を占めた。

意外ではないか。直接のメリットは無いのに、「非独裁者」の立場を考え、人とはお金を渡す動物であるというわけだ。これは、人間とは個人の利益より、人に対し「思いやり」の心を優先し、それが集団を維持し、世界中に分散し発展するために、極めて重要な役割を果たしていたのだそうである。

そして、この精神は教育ではなく、人類の特性であり精神進化と番組は結論付けていた。

そう、利己主義ではなく「思いやり」が人類を発展させたのだ。

ただ、このあともう一つ、ショッキングな結果が出た。それは、日本人と外国人の「思いやり」比較である。常識的には、聖徳太子の「和を持って尊しとす」ではないが、日本人の方が外国人より「思いやり」の心が強いように思える。しかし、別のゲームの結果は、「思いやり」の心が外国人のおおよそ半分のパーセンテージしかない、というものであった。

ただし、これは現代の日本人が薄情だ・・・などといっているのではない。島国に育った日本人は、外国人ほど大きな集団を維持する必要が無く、それが精神進化の過程で「思いやり」の心を薄めたのだという。

 

なぜ、40年近くも前の16歳の少女の歌を紹介したのか。その1つの理由は、歌そのものを忘れたくなかったからだ。何かに書き残さないと、忘れるのが怖かったからだ。

もう1つの理由は、人と人との繋がりについて語りたかったためだ。当時の学生が良かったか悪かったかは分からない。しかし、そこには間違いなく、人と人の繋がりを求める心があった。それが、例え1日だけのものであっても、少なくともその時間を精一杯大切にしようとした。

もちろん、16歳の少女が作った小曲は素晴らしいものであった。しかし、それが広がり歌い継がれたのは、繋がりを求める人の心があったからだ。

 

世の中、不景気風が吹くばかり。無責任なおっさんには、この風がなおさら身にしみる。きっと09年も・・・

だがそうであろうか「スーダラ、スーダラ、ブツブツ・・・」。おっさんは考える。無責任でいい加減な考えだが。それでもおっさんは考える。人類手は「思いやり」の心の進化により、発展してきた。40年前に、顔を見ない16歳の少女が作った歌の素晴らしさと、それを皆で伝え合う心があれば、どこかに光が「スーダラ スーダラ ムニャムニャ」。

 

 

        歌ってあげましょ、おっさんでよけりゃ。少女の気持ちと優しい心

                                  (りょう)


25:与論島

与論島 


25:与論島・百合ヶ浜


百合が浜 



26:ジャネット八田➀

ジャネット八田 


26:ハキビナ海岸
 

ハキナビ海岸


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