HEISHEI・20(ニイマル)、無責任男のスーダラ雑感・・・⑨
「読めない・書けない」でもそんなの関係ねー!
(少し古いお笑いのギャグ風に・・・)
新聞が読めない、日常の計算が出来ない・・・でもそれが世間の常識
下記の問題の答えは。
1:何と読みますか・・・「絵画」
2:漢字で書いてください・・・けいたい でんわ
3:計算してください・・・2/3+1/2=( )
4:長崎県は「何地方」にありますか。
上記の問題に対して何問答えられましたか。
このような質問をしたら・・・。
恐らく「馬鹿にするな!」という答えが返ってくるであろう。大人の読者に、このような質問をすること自体が、失礼に当るからだ。
こんなことを書いたのは、もちろん問題に答えていただくのが目的ではない。調べたわけではないが、多分小学校の、しかも中・低学年の問題と考えられるからだ。
ところが、もし「馬鹿にするな」ではなく、真顔で1問しか出来なかった、2問しか出来なかた・・・と言った答えが返ってきたらどうするのか。実は、それが現実となりつつある。小学校で習う漢字が書けない・読めない。通分が出来ない。常識の範囲の地理や歴史が分からない。そんなことが、実際にあちこちで起こっている。
現実にeggの加盟店でもこのような問題に直面している。スタッフを募集した時、テストというより常識度のチェックと言った意味合いで、上記程度の問題のテストを実際に行った。ところが、「絵画」が読めない、「通分が出来ない」という結果が実際に出たという。
外見や面接段階では問題は無く、採用しようと経営者は考えていた。しかし、テストの結果はすでに述べたとおり。これでは、図面から材料を拾い出すことが出来ないし、当然見積もりも出来ない。仕方なく断ったと言う次第。
ところが、このような出来事は決して例外ではなくなってきている。筆者も、仕事柄セミナー等の講師を務めることがよく有る。その際、受講者にテキストの文章を読んでもらうことがよく有る。テキストである以上、もちろん難しい漢字は使われていない。しかし、間違った読み方をすることが日常茶飯事。というより正しく読めないのが当たり前になってきている。
その結果を見ると、新聞は半分程度しか読めないと考えられる。一般の新聞がほぼ読める・・・それが国語力の一つのバロメーターとすれば、20歳代以下の人達の50%はこの段階に達していないのではないか。残念ながら、この判断は多分間違っていない。となれば、若い人達は日本人でありながら、約半分は常識的な日本語が分かっていないということになってしまう。
高校生言葉が悪いとは言わない。言葉自身は生き物で変化することは当然であるからだ。しかし、それしか使えない、仲間以外に意思を伝える能力が無いとなれば、これは深刻な問題だ。
あーあ、恐ろしや、恐ろしや。
「算数」「社会」「理科」に関する問題を出すことは殆ど無いので正確には分からないが、国語だけが例外というわけでは有るまい。
最近クイズ番組がもてはやされている。当然、難解な問題が多数出され、見事に解答する高学歴回答者が絶賛される。一方、おバカキャラのタレントが常識問題を解けず、笑いの種となる。テレビ番組の場合はそれで良い。しかし、この2極化が一般人の間にも浸透し、おバカキャラ並みの人口が、若年層になるに従い増加し、過半数を占めつつある。笑うに笑えない現実がそこにある。
以下は、ある若いカップルの会話。
彼女「今日、お母さんからからケータイにメールがあったの。携帯に連絡した時はすぐに返事をください・・・だって」
彼氏「それで」
彼女「それがさー。携帯って何のことだか分からなかったの。友達に聞いたらケータイって携帯って書くんだって。漢字なんかあったんだー。でも、ケータイのこと漢字で書く人なんていないよね。まったくお母さんったら古いんだから。話が通じるわけ、ないじゃん」
彼氏「そーだよなー。俺も昨日先生からのメールが読めなくて、大切な連絡をしたのに何故無視したんだと、あとでこっぴどく叱られた」
彼女「どんなメール」
彼氏「これだよ、読んでみろよ。**(名前)、君は昨日の早朝、住宅街で喧嘩し罵声を発したそうだな。日曜日に謝りに行くので登校しなさい」
彼女「こんなの、分かんないわねー」
彼氏「そうだろー。**、君は昨日の早朝、住宅街で(せんはな)し(うまごえ)を発したそうだな。日曜日に(しゃ)りに行くので(のぼるこう)しなさい・・・だなんて、何のことだか分からないしなー。先生に聞くのも恥ずかしいしなー」
彼女「そーよねー。大人って変な言葉ばっかり使うんだから。こんなんじゃ、通じるわけ無いじゃん。もっと最近の言葉覚えなきゃー」
彼氏「そうだよなー。まったくいい迷惑だ。ムニャムニャ」
ちょっと極端すぎたかも・・・。
でも、これに近い現実が目の前に迫っている。
いいかげんなおっさんでも、「スーダラ、スーダラ、まあええか・・・」とばかり、知らぬふりを決め込むことが出来なくなってきた。意識の問題とか、そのような複雑なことではなく、漢字が分からないから若い人と意思疎通が出来ない。文章での伝達自体が不可能になる。そんな時代が現実にやってきたのだ。
「ゆとり教育の問題だ」「いや、先生の教え方が悪い」「社会環境の問題だ」・・・など意見は多数あろう。しかし、すべての基本となる「常識的学力」だけはつけておくことの必要性は、誰もが認めるところであろう。
高学歴化は、小子化に伴いさらに進んでいる。それだけ、大学へ行く比率が高くなっていると言うことだ。しかし、昨今は大学生の中にも、常識的学力を持っていない者がおり、例外的存在ではなくなってきているとも言う。
我々の身近なところでは、「職人」の世界が良く対象に出される。「職人」は技術者であり、一般的職業以上に「常識的学力」を必要とする。もちろん、図面の字が読めなくては困る。通分が出来なくては困る。三角形の定理を知らなくては困る。面積を求める計算が出来なくては困る。
親方がしっかりした教育をすれば、それなりに育つと言う意見も有る。ただ、そのシステムも崩れつつ有る昨今、事態は深刻化の一途を辿っていることだけは事実だ。
あー、頭が混乱してきた。おっさん達はどう対応すればいいんだ。結局ムニャムニャで済ますしか・・・そうだムニャムムニャ。でもなー。
先生に言われて新聞読んだ。見たこと無い字がどっさり、ああこりゃ大変だー
(りょう)